9年前の私(2)~3.11~
4月になって外も暖かくなった頃、私は小学校1年生になった。
外は暖かいのに毎日マスクをしてシャカシャカしてる素材の上着を着て暑いのに耐えて登校していた。外でも遊べなかった。
入学して2ヶ月後、放射能の影響を心配した母と一緒に別の県に引っ越した。友達と別れるのがすごく寂しかった。当時、放射能とは何か全く分からなかったけど大人がバタバタしてるから大変なものなんだなと察した。他の県に引っ越しても友達はたくさんできて楽しく過ごしていた。
でも、他の県で福島から引っ越した人が、放射能のことでイジメられたというニュースが流れてとても怖かった。なんで福島に住んでいただけで色々言われなければならないのかと思った。
小学校5年生になって福島に戻って来ると、環境的なことは意外にも復興が進んでいた。でも、テレビで流れる映像を見ると人の心の復興はまだだと感じる瞬間もあった。
中3になり、授業で震災のことを考える機会があった。その授業を通じて私は、さらにこの震災は絶対に忘れてはいけないことだと思うようになった。月日が経つと忘れやすくなってしまう。でも、この震災を体験していない人にもこの出来事を受け継ぐ必要がある。ただの負の遺産で終わらせてはいけないと思う。まだ、何をしたら良いか分からないけど自分で考えてみたい。