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ありがとう

さかた校長は本当に今日で退任してしまうんですね…
めちゃくちゃ寂しいですが、まずは1年半本当にお疲れ様でした。

去年コロナウイルスが流行り始め、大学も始まらず、バイトも仕事がなくなりずっと家に篭っていました。そんな日々の中の唯一の変化がラジオの中の学校、スクールオブロックでした。ラジオを聴きながらこんなに笑ったり泣いたり悔やんだりドキドキしたりするのは初めてでした。

校長には沢山笑わせてもらって、楽しい時間を沢山貰いました。でもきっと放送以外のところでも校長は沢山泣いていたのだろうなと思います。わたしたち生徒の知らないところで沢山もがいて苦しい思いもされていたんだろうと思います。
さかた校長が今まで沢山の生徒さんにかけてきた言葉は必ずこれからも心の中で生き続けると思います。
本当に素敵な熱いロックンロールな言葉たちをありがとうございました。

FAXイラストを描くという新しい趣味を与えてくださったのもスクールオブロックです。
さかた校長が褒めてくださった言葉ひとつひとつが本当に宝物のようです。(さかた校長からMVPを貰えていないのが唯一悔やまれるところです…)

願いが叶うならば目を見てありがとうとお疲れ様を言いたかったです。
さかた校長に出会えて良かった。
こもり教頭の相方がさかた校長で良かった。
もっともっとビッグになってください!!
これからも応援しています!!!

支離滅裂な文章で申し訳ないです。
今夜も夜10時に…

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今日…

今日21歳になりました!
ついこの前20歳になったばかりなのにな…という気持ちなのですが、そこで一年前の今日の話をしたいと思います。
20歳の誕生日の日もいつも通りベッドの上でスクールオブロックを聞いていました。
そうすると母が部屋に入ってきて手紙をくれました。
渡しに来てくれた時間は私が生まれた時間だったそうです。
その手紙には私が産まれる前や、産まれた時のことが書かれてあり、胸がいっぱいになりました。
去年の夏、スクールオブロックでは最後の夏レターというプロジェクトを行っており、わたしは初めて両親に感謝の手紙を書いていました。でも、そういう手紙を書いていたことも、送っていたことも言っていませんでした。
その内容がスマホの中に残っていたので、すぐに便箋とペンを取り出して書き写し、母に渡しました。
しばらくしたら顔を涙でぐしゃぐしゃにした母がお礼を言いに来てくれました。
父にも当日ではありませんでしたが、読んでもらいました。
この事があってからより家族の時間を大切にするようになりました。
スクールオブロックのおかげでわたしの20歳の誕生日が忘れられない日になりました。
さかた校長、こもり教頭、本当にありがとうございました!
21歳はもっと自分を成長させる年にしたいです!
さかた校長、本当に寂しいですが、あと少し最後までよろしくお願いします!!

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ネガティブなことだけじゃない

わたしは父と母の3人家族です。
わたしの父は、私が小学生の頃から単身赴任で関東で仕事をしています。
父は、喘息持ちで、肺年齢が100歳を超えていると今年に入ってからお医者さんに言われていました。
そんな父が1月末(教頭がお休みしてるくらいの時期です)、コロナウイルスに感染してしまいました。
運良く病院が見つかり少し安心しましたが、離れているから祈ることしか出来ず、不安で涙した夜が何日もありました。
酸素吸入量が6リットルを超えたこともあり、病院からの電話に怯える日々でしたが、どんどん酸素吸入量が減り、今日無事に退院することが出来ました。
そして今日退院後に新幹線に乗って、わが家に帰ってきました。そして、久しぶりに3人で食卓を囲みました。 「ラジオ聴いたよ」って言ってくれ(成人の日の電話)たり、FAXでまたMVPに選んでもらったよ!って報告したり、新しく始めたバイトのことだったり、沢山のことを話しました。
その時、なんだか今までよりもすごく幸せに感じたんです。もっと家族の時間を大切にしようって思えました。
泣いた夜が沢山あったし、もちろんこれからも予断を許さない状況であるのには変わりはないけど、教頭が言うように、ネガティブなことだけじゃないなって思えました。