表示件数
0

久しぶりの書き込みで卒業後の生活をまとめて今の心境を語っただけのただただ長いだけのタイトルと文章

中学卒業して自分のことを友達と思ってくれてるかどうかわからないクラスメイトといえるかわからない方達と健闘を称えあって、数日後に控えてる受験を乗り越えて、自己採点で絶望のドン底に落とされて、それでも一週間後の合格発表を見て、冷静に現実を受け止めて、新たな世界で頑張れるよう努力して、息抜きに友達とカラオケに行ったり、サイクリング感覚で元いた町まで行って思い出に浸って、本屋に行って小説や漫画を買ったり、見たい映画やアニメを片っ端から見て…なんてことをしていたらあっという間に3月も終わりに近づき、もうすぐ高校入学を控えていることに気づき、進み途中の課題を終わらせる。
ただただ何気ない日常が過ぎていく。周りに一歩二歩遅れをとりながらも、必死で食らいつくように頑張っていく。そしてあっという間に時間が過ぎて、周りについて行けなくなり、学校で、教室で孤独感を感じてそれを嬉々として感じてしまう。そんな自分が好きでもなく嫌いでもなく、何も感じなくなるようになっていってしまう。それが自分という存在(もの)だと思い込むのだ。

0

学校という場所。

「なぜ学校に行くのか?なんで学校に行かなきゃいけないのか?」と思う生徒もいると思います。それは僕も同じです。ですが、そんな考えはなくてもいいと思います。学校なんてものは行っても行かなくてもいいのです。だけど、これは不登校を誘惑させているわけではありません。行けば行っただけ、未来の視野が広がりますし、行かなかっただけ、未来の視野が狭まるだけです。
僕も学校が嫌で、勉強だってしたくないのですが、未来の自分のために頑張って行っています。それに僕は学校に行っても放課中はずっと独りで孤独なのですが、クラスの仲間達が楽しく話をしていたり、遊んでいたりする姿がよく目に入ります。その姿を見るだけで学校に行ってよかったと思えるのです。それに独りの方が係や委員会の仕事に身が入るというのも個人的にはありますけど…いじめ(ホントはあってはならないものですが)を受けている人も学校に行かなくてもいいです。その代わり、勉強をしとかないと社会に出たときに困るだけですが…まあ、それだけ勉強が必要不可欠なものになっているということです。
まとめると、学校は行っても行かなくてもいいけど、行っただけ、未来の視野が広がる場所だと思います。口の利き方が悪い書き込みですが、長文失礼しました。