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ぺえ教頭と話したい

ぺえ教頭とこもり校長のタッグが今日で終わってしまうのがとても寂しいです。
ところで、私は今中3なんですが、中2のときに逆電できなくて、好きにしなさいコールができなかったんです。最後になるから、中3の私に向けても直接やってもらいたいです。
そしてさいごはぺえ教頭と、こもり校長と、楽しい話がしたいです。スーパーフリートークみたいな感じでいいです。5分だけでもいいです。ぺえ教頭と笑って喋りたいです。逆電させてください!

ぺえ教頭へ
私はぺえ教頭の言葉で、「一休みじゃ足りなかったらもう一休みすればいい」という言葉が好きです。そんなのもう一休みじゃないじゃんとか言われたって、必要な休息だから、周りになにを言われたって関係ないです。だって私にはこもり校長、ぺえ教頭という味方がいて、全国に生徒さんという仲間がいるから大丈夫です。さかた元校長が退任してから今もさかた元校長の勢いのある声や言葉を思い出します。ぺえ教頭がスクールオブロックの教頭でなくなったとしてもこの1年2ヶ月は絶対に私の人生から消えることはないです。むしろ何回も思い出してどんどん濃くなると思います。ぺえ教頭大好きです。またスクールオブロックの生放送教室やアーティストLOCKS、廊下で会いましょうね!これから進んでいく道でいつか直接ぺえ教頭に会えることを願って。

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過去イチの勇気

1週間ほど前に、6年間続けたダンスをしばらく休むことを、先生に伝えてきました。

小学5年生くらいから、中1までずっと、基本レッスンは平日に週4日で多いときは土日に一日練習があるという生活を送っていました。
コロナが流行り、レッスンが休みになり、急に明日は何もないんだ、ゆっくりしてていいという休日ができて、自分がほっとしているのに気づきました。
自分が中性と自覚してから、ダンスの振り付けや、衣装、グループ分けで女子に分類されることを、仕方ないと思いながらも、苦痛でした。
小学校では、同じダンス教室に通う友達が多く、その子たちと一緒に行動していたため、ダンス教室で中性だと言って、拒絶されたら、居場所がなくなるんじゃないかと怖くて、いえないまま過ごしていました。
一回、行きたくなくてずる休みをしたとき、翌日友達に「なんでこなかったの?」と心配そうにきかれたとき、すごく罪悪感がありました。

ここ一年間、明日はダンスがあると思うと眠れなくて、すごく不安でした。自分が弱いだけで、この環境から目を背けているだけじゃないかと思いました。
でも、いつかのSOLの授業で、さかた校長が、逃げてもいいんだ、と言っていた記憶があります。そのことが毎日よぎって、色々考えました。レッスンを週1回にして、ゆっくり考えて、やっぱり、もうこの環境のままダンスをやりたくないと思って、2ヶ月間レッスンを休みました。
このまま何も言わずに辞めてしまおうかとも、思ったけれど、やっぱり、それじゃだめだと思いました。

ダンスのスタジオに向かう間は、ずっと「今日はSCHOOL OF LOCK!がある」と思って気分をあげようとしていました。
ダンス教室は楽しいこともあったけれど、辛い記憶の方が勝ってしまって、スタジオに入るのもすごく怖かったけれど、ちゃんと先生に伝えてこれました。

今でも無期限で休むという選択が正しかったのか悩むけど、今、私は心が軽いし、前より楽です。
他の人から見たら、小さい勇気かもしれないけれど、私なりに今までで一番勇気をだしました。
勇気を出して行けて良かったです。

長文すみません