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新体操の妖精

 空腹で、変な時間に目を覚ましてしまった。ミネラルウォーターをひと口飲んで、再び眠りにつこうとしたが、全然眠れない。朝練があるのに。寝不足でけがをして、やめざるを得えなくなった娘のことを思い出す。
 太りやすい体質なのに、どうして新体操なんてスポーツを選んでしまったのか。スープが残ってないかと望みをかけ、キッチンに降りる。ない。母は若いころバレエをやっていたから体重管理に協力的なのだ。誘惑に負けて食べてしまわないように、大会が近づくと残りものは基本的に全部捨ててしまう。インスタント食品のたぐいも、置かない。着替えて、そっと家を出る。
 缶のスープと栄養補助スナックを購入し、自動ドアから一歩足を踏み出したわたしは凍りついた。セーラー服を着たおじさんが、街灯の下に立ってこちらをじっと見ていたからだ。
 踵を返し、店員さんに助けを求めようとしたが、なんと言ったらいいのかわからない。何かされたわけではないのだ。
 雑誌を物色するふりをして、外の様子をちらりとうかがう。おじさんは、こちらをじっと見ている。ターゲットはわたしだ。決意を固め、店員さんに近づく。
「あの。すみません」
「はい」
 よさそうな人だ。勢いづいてわたしは続ける。
「外に、変なおじさんが立ってて」
 店員さんがレジから身を乗り出し、外を見る。
「誰も、いませんけど」
 一応警察に通報しておきます、と奥に消え、戻ってきてからほどなくして、パトカーがやってきた。一緒におまわりさんに説明すると、無線で何やらごにょごにょ言って去った。
 怖かったが、いつまでもコンビニにいるわけにはいかない。わたしは店員さんに礼を言って家路についた。帰宅すると、結局スープとスナックには手をつけず、気絶するように眠ってしまった。
 そんな出来事から三か月、インターハイで、わたしは優勝した。初出場で個人が優勝するのは十年ぶりの快挙だそうだ。
 興奮さめやらぬわたしの耳元で、コーチがこう言った。
「あなたも見たのね。セーラー服おじさん」
 わたしは微笑むコーチを見返し、驚くのと同時にがっかりした。このまま続けていても、せいぜい高校新体操部のコーチで終わるのだ。

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すずめの宿

 小鳥のさえずりであなたはゆっくりと目覚めるはずだったのだが、掃除機のモーター音で強引に起こされた。
 わざわざアンリーズナブルな山奥のリゾートホテルを選んだのに、これじゃあビジネスホテルと変わらない。
 いらいらがおさまらないあなたはガイドを断り、山道に向かった(ホテルの企画のメインが、地図から消された旧道をゆくなのだ)。
 案の定、迷った。方向オンチのあなたには無謀すぎる選択であった。
 かなり長いことうろうろしてへとへとになり、朽ち木に腰かけて途方に暮れているとそこに、すずめがやってきた。
「ヘイヘイへ〜イ。こんな所でどうしたんだい彼女」
「迷子なの」
「そりゃあ、いけないね。どこから来たの?」
「〇〇リゾート」
「関東の人?」
「うん。東京」
「仕事は何してんの?」
 うぜえすずめだなと思い始めたあなたはぼそっと、「医療関係」とだけ言って立ち上がった。
「ホテルまで送ってあげようか」
 やや躊躇してからあなたは、「いいの?」とあえてすずめと目を合わさずに言った。いまさら説明するまでもないが、あなたはプライドが高いのだ。
 先に立ったすずめは羽ばたいたりホッピングしたりを繰り返しながらたまに振り返り、しきりに話しかけてくる。
「ガタイいいよねえ。大きくなる人に共通してる要素は栄養状態じゃなくてけっこうな年になるまで寝る時間が早かったってことらしい。子どものころ、深夜番組なんて見たことなかったでしょ? いまでも見ない?
 医療に従事する人たちって社会に貢献してる、いいことをしてるって意識が強いから傲慢だよね。権威に評価されることをモチベーションとして勉強してきた人たちだから自分がない。いや、もともと自分がないから権威に従順なのか。自分があるからいろんな価値観を吸収できて、謙虚になれる。僕はそんな視野のせまい人たちに命を預けたくないなあ。あ、着きましたよ」
 すずめが翼で指し示した先に見えたのは、木造三階建ての、大正ロマン漂う温泉旅館だった。なぜ温泉旅館だとわかったのかというと、あちこちで湯気が上がっていたから。
「すずめのお宿です」
 悪びれる様子もなく、すずめは言った。
「……カード使える?」
「もちろんですとも」
 宿は、とてもよかった。あなたは一週間滞在し、ごきげんな気分で都会の喧騒に戻った。

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ドラニキとシャラポワ

 世界中の飢餓を救い、不毛と考えられていた極寒の地への民族の進出を促進し、また、その地における人口の増大にもつながった生命力の強い作物といえば何か。
 じゃがいもである。
 その性質、人類への貢献度から花言葉は、恩恵、慈愛、慈善、情け深い、である。ちなみに、五月一七日の誕生花。五月一七日生まれの人の誕生日にはぜひ、じゃがいもの花を贈ってほしい(じゃがいもの品種は二,〇〇〇種類以上あるそうだから選ぶのも楽しいね)。
 そんなじゃがいもの消費量世界一はベラルーシ。生産量も当然多く、ウォッカの原料としてロシアに輸出もしている。 
 そうそう、じゃがいもは酒の原料にもなっているのだった。
 飢餓を救ったばかりでなく、日々のうさを晴らす薬のもととしても重宝されるじゃがいも、果てしなく懐が深い。
 ところで、ベラルーシだけでもじゃがいも料理のレシピは一,〇〇〇におよぶといわれている。ベラルーシほどレパートリーが豊富な国はまずないだろうが、民族の数だけじゃがいも料理があるわけだから、もしかしたら卵料理よりも多いかもしれない。いや、多いに違いない。
 わたしのおすすめのじゃがいも料理は、ドラニキである。ロシアやウクライナにもあるが、発祥はベラルーシ。じゃがいもを使ったパンケーキだ。
 千切りもしくはすりおろしたじゃがいもと、みじん切りにした玉ねぎを卵、薄力粉、ベーキングパウダーと混ぜ両面をきつね色になるまで焼く。それ、卵が入っているから卵料理でもあるよね、なんて突っ込みは無用。あくまでメインはじゃがいもなのだ。これにサワークリームをのせ、いただく。両脇にはベラルーシ美女、なんて演出も欠かせない。
 ベラルーシ美女といってもぴんと来ないという人はロシアの元プロテニスプレイヤーのマリア・シャラポワ(両親はベラルーシ人)を思い浮かべてほしい。知らない人は検索してね。
 だいたいあんな感じ。
 お顔、スタイルはともかく、ベラルーシの女性の平均身長は一七八センチ(シャラポワは一八八センチ)だから日本人男性は萎縮してしまうかもしれない。
 そうですね。ベラルーシ美女のことは忘れてください。
 さて、つらつらじゃがいもについて書いてきたが、カレーが好きな人はともかく、意外とそんなに普段、じゃがいもって食べないよね。みんなはけっこう食べる? 俺は食べない。