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今の心境

こもり校長、COCO教頭こんばんは。
久しぶりに書き込みします。

今日で、東日本大震災から13年が経ちました。
宮城県出身で、当時幼稚園の年長だった私は今年で20歳になります。
年を重ねてもあのときのことは、書ききれないほど鮮明です。
あれからかなりの時を生きたのだなと、そして過ごす環境が変わって、家族のことや今ともに生きている人たちのことをより考えるようになりました。
そして元日に発生した能登半島地震のように、いつどこで何が起こるか分からないことを身近に考えることも増えました。

私の実家は海の近くにあります。
帰省するたび、綺麗になった街並みと海の穏やかさに驚かされます。
たくさんたくさん変わりました。

ただ、小さなころに見た景色がそのぶん恋しく感じるようにもなりました。
そして今の中学1年生までの子供たちがみんな震災後に生まれた事実にも驚いています。
どのようにあの時のことを伝えていけばいいのでしょう、そのようなことも考えるようになりました。
いろいろなことを頭に巡らせながら、黙とうをしました。

今日の授業テーマは「今そばにいる大切な人」。
私は、物理的に遠かろうが「大切」だと感じているのならば「今そばにいてくれている」と考えています。
宮城にいる世界で一番大好きな家族や、帰省した時に優しく接してくださるご近所さん、素敵な地元の友達。
今の場所で出会った大学の友達や先輩方、先生方。
天国にいる祖父や曾祖母だったり、
考えれば考えるほど大切な人たちがいます。

だから、今一緒にいられる日々を大切に生きていきたい、と思います。
「いつもありがとう」って、直接恥ずかしがらずにもっと言えるようになりたいな。

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今は笑えているけれども

私は正直、今までの人生を良いと思ったことはありません。


幼少期は、父親に精神的虐待のようなことを受けた。
小学生の時は、理由の無いいじめと容姿いじりにあい、大人の理不尽さを知った。
中学生の時は、本格的な容姿いじりやすれ違いざまに暴言を言われ初めて本当に死のうと思い制服のネクタイを素肌に当てたこと。心做しか怖くなかった。
高校生の時はクラスメイト全員にいじめの標的にされほぼ不登校、通信制に転校するまで毎日死のうとしていたこと。

今はその反動のおかげなのか、毎日にこにこできていますし
人も環境も何もかも、報われたような感じがします。
ただ、やられた傷は永遠に消えないし、今も情景を思い出せと言われたら思い出せそうなくらい、記憶には残り続けます。
人間は考えるよりずっとずっともろいのです。
だから今は私は様々な選択肢に頼って、心を改善させながらこれから良い人生を過ごして死にたいと考えています。

辛いときのいろいろな選択肢を、すぐに選べる社会が早く来て欲しいなと心の底から願っています。
悲しい時に色々なことを考えたくはないからです。

今日はたくさん吐き出してください。

心の中で皆さんをぎゅっと抱きしめます。
私は味方です。

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