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ありがとう

私、ありみゆ☆彡は
本日7月1日
SOLを卒業しました。
前に進むきっかけを掴めたからです。

私は今日で卒業して、SOLを聴かなくなると思うし、ここにも来なくなると思います。
正直寂しいです。
でも、私の中ではこのSOLっていう学校は
私を変えてくれた大事な学校で
大事で大切な仲間がいっぱいいます。
だから時々顔出します。
顔出した時にはまたよろしくお願いします。

次ここに戻ってくる時には
今日よりも笑顔で胸張って戻ってこれるように
今よりもっと前に進んで
今よりもっと強くなって
また帰ってきます。

でも、つまずいたときには再入学するかもしれません。
でも、その時にも受け入れてくれると嬉しいです。

校長、教頭、職員の皆様
アーティスト講師の皆様
そしてSOL全生徒
本当にありがとうございました。
皆様のおかげで変われたところもあります。
皆様のおかげで頑張ってこれました。
SOLの生徒で本当に良かったです。
このSOLで過ごした日々を忘れずに頑張っていきます。
本当にありがとうございました。
これからも頑張ります。

全てのSOL生徒に、校長、教頭、職員様に幸せが訪れますように。
そして全てのSOL生徒が
未来の鍵を見つけて卒業して
それから先も前に進んで
全てのSOL生徒に明るい未来が訪れますように
応援しています。

それでは、また会う日まで

P.S.廊下には多分いるので、是非声かけてね!

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あの時

今日で東日本大震災から5年。中学1年生の時でした。当時は海外の日本人学校に通っていました。
2011年3月11日。離任式がありました。東北出身の先生方が深刻な表情で話をしていました。まだ私は何が起こっているのか分かっていない状況でした。
震災があったのを知ったのは学校から帰宅した後でした。
普段テレビをつけない母が言葉少なにテレビでやっているニュースを指差しました。
目に飛び込んできたのは釜石市が津波に飲まれていく映像でした。その映像に衝撃を受けました。息が止まりました。
震災の1年前、福島出身のクラスメイトが日本に帰国しました。彼は海沿いに住んでいるという話を聞いていただけに心配でした。
彼と彼の家族は無事でした。
同時に彼の知り合いや友達は津波に巻き込まれてしまいました。
この話を聞いたときは胸が痛かったです。
海外にいる自分が悔しかった。日本にいない自分は無力だと思っていました。
私は当時委員長をやっていました。
そんな私にできることは何かと考えた時に思いついたのは自分の委員会で既にやっていた募金活動でした。そこで私は少しでも東北の皆さんの力になりたい。今やっている募金を東北の皆さんに寄付したい。と話をしたところ学校の皆が協力してくれました。そして日本大使館に寄付金を渡しました。
当時は海外に住んでいて地震は経験していません。でも私も同じ日本人です。けっして他人事ではありません。そして5年たった今もあの時の悲しみを抱えている方もたくさんいると思います。
あの時のことに耳を傾けること、あの時のことを忘れないこと、いつ何が起こるのか分からない今日を精一杯生きることが今私にできることだと思っています。