ぬるま湯
「ぬるま湯に浸かって育った」「平和ボケ」
これらの言葉は今や罵倒の意味しか持たなくなった
危機感がない、現実を見ていない
そんなふうに言われ否定されている
でも
ぬるま湯の何が悪い?
平和ボケで何が悪い?
最近そう思うようになった
「百聞は一見にしかず」
という言葉も体験を通してしか得られないものがあるという意味ではない
「一見」に「百聞」で足りないなら「二百聞」でもいいじゃないか、体験のためにリスクを犯すのが果たして平和のためになるのか
ぬるま湯の人間がそのぬるま湯を保つためにお湯と水をちょっとずつ足し合って、そうやって平和を作る
なぜそれを否定するのか、
なぜぬるま湯を熱くしようとするのか
熱いお湯にしか居場所がないから?
もしそんな人がいるなら今の社会を変えられるのは
きっとその人を受け止められる人だ
真の平和とは
願いという熱を受け止めた冷静なぬるま湯なのかも…