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みんなを抱きしめたい。

今週の放送を聞いていて思ったのは、みんな生きていてくれて、本当にありがとう、ということ。何かつらいことがあっても、この学校の生徒はみんな味方だから、何かあったらこの学校で吐き出してほしい。今週、もう毎日、校長も教頭も泣きながら逆電してたけど、それだけ熱い思いを持った人が、みんなの周りには必ずいるから。親とうまくいかない、友達とうまくいかない、でもこの学校のみんなが仲間だから。何か耐え忍んで我慢して生きているのもえらい、でも弱みを正直に見せられるのも強い。頼っちゃいけないんじゃない、助けてもらおうよ。その分、生きていればいくらでも恩返しができるんだから。「元気があればなんでもできる」という言葉がるけど、本当にその通り。今日の冒頭でも教頭が言ってたけど、なにっか楽しみがあるなら、生きてみようよ。一緒に笑いあって、楽しい時間を共有している人が居るのなら、その人はあなたを必要としているわけだから。誰かのために生きる、楽しい時間を一緒に過ごす、その人のために。つらい場所から逃げたっていい、それはもう自分を守るための作戦だから、何も気にしなくていいんだ。みんなありがとうなんだよ、この学校で出会えたから。今週もありがとう、お疲れ様。今しんどいあなたに贈りたい曲は、桑田佳祐『それ行けベイビー!!』肩の力を抜いて、聞いてみて。

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過去、現在、そして未来。

去年の秋、あしざわ教頭の退任のとき、新しい教頭先生が半年間いない、という話を聞いて、正直ちょっと不安、というのを学校掲示板に書きました。校長や教頭が退任したら、すぐに新しい校長教頭が来て、ずっとずっとバトンがつながってきたから。だから春から新しい校長教頭がいきなりやってきて、本当に大丈夫なのか、それが不安だった。でも昨日の放送を聞いて、さかた新校長・こもり新教頭が就任することを知って、本当に安心したしうれしかった。2人はこの学校のことをちゃんと知っているから、とーやま校長が退任しても、バトンはちゃんとつながると確信できたから。昨日のとーやま校長の、2人へ向けた黒板、そして2人へ向けたメッセージ、あれがすべて。校長は電話の向こうの、掲示板の向こうの一人の生徒に向き合って、教頭はそんな一人の生徒と周りの生徒をつなぐために。今日の授業の冒頭のとーやま校長の話、やしろ教頭・よしだ教頭・あしざわ教頭、みんないてとーやま校長がいて、そしてさかた校長・こもり教頭へとつながっている。ぞの前には当然やましげ校長もいたわけだし。3日連続で歴代の教頭先生が来て、それでこそわかった生徒との向き合い方の違い、でも生徒と向き合おうとするその真剣な姿勢は、3人とも一緒だった。みんな模索して、それぞれの向き合い方を見つけたんだろうね。「校長のやましげです!」「教頭のやしろだ!」で始まって、そこからずっと。ついに新しい教頭先生の年齢が、自分より下になっちゃった。ずっと生徒、時の流れを感じます。とーやま校長と過ごす残りの時間を大切に。今週もみんなありがとう。みんなが楽しい日々を送れますように。

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夢はかなう。

っていうことを、校長が体現してくれたと思う。昨日の授業、奥田民生先生と校長のセッション。ただただ感動でした。perfumeや欅坂46、チバユウスケさんを語る校長の熱量は本当にすごい。でもやっぱり、奥田民生さんを語るときの校長の熱量は、それ以上だと、話を聞きながらいつも思っている。そんな大好きな民生先生とギターセッションするなんて、そんなことはなかなかかなわない。でも校長の民生先生への思い、そして努力が、今回のセッションにつながったんだと思う。自分の曲を自分のファンである人とセッション、また逆もしかりで。エンディングで校長も言ってたけど、どれだけすごいことか。そしてここから思うのは、確かな意思と行動があれば、絶対に夢はかなう。時間はかかろうが失敗しようが、必ず実現する。それを校長が教えてくれた、そう思うんだ。だからこそ、言葉にならない感動があったんだな。まず一歩、踏み出す。それで世界が変わる、新たな出会いもある。私はライブハウスデビューが社会人になってから、でも定期的にライブに行くようになって、世界観がちょっと変わった。ライブハウスという場所に一歩踏み入れて、新たな自分が見つかったし。先月のドライ部ツアー福島編も、年甲斐もなく参加して多くの生徒の皆さんに出会えて。この年齢になっても、新たな世界に飛び込むことの勇気と大切さ、気づかされます。だからこそ、昨日の『人の息子』セッション、すごかった。校長、民生先生、本当にありがとうございました。受験生、就活生、頑張ってるみんな、本当にお疲れ様です。頑張れがつらく聞こえるのは、頑張っている証拠だから。手を抜け気を抜くな、ね。今週もありがとうございました。ドライ部福島前後編、しっかり映ってた(笑)、全員の「叫べー!!」が、やっぱりぐっときた。そしてあの後はるばる会津まで旅をしてくれた職員のみなさん、ありがとうございました。

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日常は当たり前じゃないんだなって。

こんばんは、みんな元気かな。まずは、この度の台風で被災された皆様に、お見舞い申し上げます。まだ厳しい状況で過ごしている人もいると思うので、くれぐれも体調には気を付けて、そして安全第一で。何事も、すべては命があって、健康な体があってこそだから。東日本大震災のときも思ったけれど、当たり前の日常なんて、あっという間に壊れる。今までの日々がいかに尊いものだったかを、改めて感じさせられる。私の住む地区はこれといって被害はなかったのだけれど、同じ市内の別の地区では川が氾濫して、広範囲で浸水した。会社の先輩が浸水した家の写真を見せてくれて、そして「いや~、参った」正直、その言葉に対してリアクションはできなかった。なんて言ったらいいのか、わからなかった。たぶん今週、そんな場面に出くわした生徒のみんなもいるんじゃないかな。現状を目の当たりにすると、言葉が出なくなる。そして浸水したお客さんのところに収めた製品を引き上げてきたのだけれど、見るも無残、泥まみれ。それを見て、改めて今回の台風の恐ろしさを感じた。私は行かないけれど、他の部署のメンバーが明日もお客さんの現場作業に入る。こうしていろんな形で、いたるところで、災害復旧にかかわっている多くの人がいる。頭が下がる。天災には勝てない、でも立ち直ることはできる。そのためにも命があってこそだから。週末、また雨だね、怖いよね。まずは身の安全を第一に、みんな元気で、また来週も会えますように。

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空を仰いだ。

あしざわ教頭、改めてお疲れさまでした、ありがとうございました。大学受験のときにこの学校に出会い、通い始めて十数年。やましげ校長・やしろ教頭・よしだ教頭と見送り続けて、そして今回あしざわ教頭を見送った。正直、今までの別れの中で、一番しんどかったかもしれない。なんでだろうな、みんな自分の中では大事な校長先生・教頭先生だったのだけれど。社会人になってからは、ほとんどあしざわ教頭だった。仕事でミスしても、帰宅してラジオをつければ校長と教頭の声、生徒に向き合う声。それが好きだった。あしざわ教頭は目線が近いというか、コケることも多いんだけど、温かくリスナー生徒のことを包んでくれる。努力の人だし。マルチな人。楽しく、時には真面目に、生徒ちゃんと向き合う姿勢が好きだった。上手く言葉にできないな。さっきもちょくちょく出てきた教頭の声の素材を聴きながら、う~ん。でも教頭の進む道が、順風満帆でありますように。あしざわ教頭、5年間ありがとうございました、お疲れさまでした。感謝してもしきれないです。そして校長もさっき言ってたけど、この学校も変化のとき。来週から、新たなスタート。新しい教頭先生をはじめ、どうなっていくのか。楽しみにしていこう。今週もありがとう。来週も、よろしく。バス停から歩いている途中、校長一人の「叫べー!」を聞いて、空を仰いだ。きれいに晴れていた。みんな同じ空の下。

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数年ぶりに自分以外のことで「悔しい」と思った。

初年度閃光ライオット2008から数えて12年目、毎年いろんなアーティストさんが出てくる。ライブステージ出場者発表、本戦出場者発表、毎年いろんなドラマがある。毎年、誰かしら思い入れのアーティストさんはいる。去年も出場してたな、地元のアーティストさんだから応援しよう、それくらいは思っている。でも今年は違った。以前、実際にライブハウスで歌っている姿を見たことのあるアーティストさんが、ネットステージにまで進出していた。また、大変な境遇の中、頑張っているバンドもあった。今まで聞いてきた12年の中で、今年の未確認のネットステージには、本当に気持ちが入った。でも結果、応援していたみなさんはライブステージに進めなかった。昨日の今頃、出場者全員の顔触れが出そろったところで…悔しいと思った。いつ以来だろう、自分以外のことで、悔しいと思ったのは。それだけ、本気で応援していたんだと、改めて気づかされた。校長が毎年言ってるけど「みんな優勝」本当にそう。みんあがあっての未確認フェスティバル。今年もたくさんの音楽との出会いをありがとう、ライブステージに進めたみなさんは、最高のパフォーマンスができますように。進めなかったみなさんにも、心からの拍手を。そしてライブステージを見に行くみんなは、安全第一で心から楽しんで。今週もありがとう、来週もよろしく。

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思ったこと、書きます。

メーガン警備員さんへ。まずあなたはえらい、本当なら本腰が入らないであろう勉強・環境下で本当に頑張っていて、立派です。だけどさっきの話を聞いていると、ちょっと親御さんの理想像の押しつけが強いように聞こえてしまいます。仮に親御さんの思う通りの大学に行ったとしても、それは自分の行きたいところではない。そうすると通い始めたところで、たぶん毎日の勉強がしんどくくてしんどくて、たぶん長続きしないと思う。下手すれば、今のこの状況よりしんどくなるかもしれない。たぶん大学で成績が振るわなければ、それはそれでまた親御さんとの冷戦が激化するように思う。このタイミングで言うのもあれだけれども、ここはいったん、親御さんと腹を割って話す必要があるかもしれない。妹さんが親御さんの思う通りに進んでいるのなら、なおのこと。自分には思いがしっかりある、というのを理解してもらわないと。でも、それができないから困ってるんだよね。親御さんの敷いたレールに従って大学に行って、英語の教員免許を取って、その後社会に出たとしても、その先が長続きするかどうか、本当に心配です。仕事は多かれ少なかれ、やる気がないとできない。やりたくもない仕事をするのは、本当につらいです。だから、どうにかして行きたい方向に進んでほしいな。私は本命の大学は落ちたけれど、滑り止めの大学でなんとか頑張れた。それは滑り止めでも、自分の行きたい学部だったから。これが行きたくもない学部だったら、無理だよたぶん。どうしても英語の教員免許じゃないとだめなのかな?私は大学で電気を専攻しながら、理科・工業・情報の教員免許を取得しました。専門学部でも、やり方はいくらでもあるから。なんとか、自分の好きなほうに。明確な答えじゃなくてごめんね、思ったことを言いました。

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今でこそわかってもらえるようになったけれど。

私は先天性の病気で、片目がほぼ見えません。見えているほうの目も、人並より視力は低い。遠くも見えなければ、手元の細かいものも見えなくて。辞書とか、細かい文字を見るのはルーペが必須。学校でも、座席は絶対に最前列、そうじゃないと黒板が見えない。それでも普通に生活できるくらいの視力はあるから、周囲からは「老眼だ老眼だ」と言われて中学時代にいじめを受けて、しんどい時期がありました。ずっと眼鏡をかけて生活もしているものの、矯正をかけたところで視力が飛躍的に上がるわけじゃなくて。よく「コンタクトにしたらいいじゃん」「レーシック手術したらいいじゃん」と言われたりして。そんなことで改善したらとっくにやってるし、それができないから困ってる。一番困る質問は「見えないって、どんな感じ?」私は生まれつきこの見え方だから、健常者の見え方がわからない。だからむしろ「見えるって、どんな感じ?」って言いたくなっちゃう。高校や大学、今の会社の皆さんは私の障害のことをある程度わかってくれて、ハンディキャップのことをそんなにいろいろ言わず、必要な時にサポートしてくれる、それは本当にありがたい。一番悩んだのは、学生時代に障害者手帳を取得したこと。当時、研究室の先生に「就職に不利になるからやめたら?」と言われたのだけれど、私からすれば、就職してから「実は私、視覚障害者です」となると、互いに不幸な気がして。だから最初から障害者手帳を取得して、私は障害者ですと、さらけ出すことにした。勇気はいったけれど、ぱっと見健常者の私にとって、ハンディキャップを証明するには障害者手帳が必要だったから。正直、わかってもらうためには勇気が必要だし、とんでもないリスクは伴う。中学時代はいじめをうけたけれど、高校・大学・社会人は周りに恵まれて、理解をしてくれた。実は気づかないところで、いろんな状況にある人がいることを気づいてほしいです。