震災後、いつ来るか分からない巨大津波に備えて被災地のあちらこちらで巨大な防潮堤が建設されています。でもかつての砂浜があった場所も含まれていたりして、潮干狩りの場が消えていったりしています。災害に備えるのはいいですが、その代償として海岸を潰す…これを思って、俺は海や海岸を怖い場所と思って欲しくないんです。海岸や海は美しい場所です。
私は東北地方でも、青森なので被害が少なくとても恵まれています。
兄が宮城の高専に通っていて、宮城の被害状況を見てまさに壊滅的、復興は絶望的だと思っていました。
しかし、今すこしずつ復興していることに、感動しています。
私も来年度から、宮城の高専に行くので、毎日を生きれる事に感謝しながら一日一日を生きていきたいです。
教頭がさっきおっしゃっていたことは、きっと心からの言葉だと思います。
人って何かをきっかけにして、何かと関わることになると思うんです。
あしざわ教頭も、すくおぶの教頭に就任したからこそ、これらのことを深く考えるようになったんだと思います。
大事なことですよね。
文章おかしくなってるかもしれません。
許して下さい。
東北に住んでいなかった私が頑張れなんて言っていいのか、復興なんて言っていいのか、
想像したり、共感(出来ないか)したり、
そこのとさえも申し訳ない気がして。
東北行ったことないんです。岩手の海鮮食べたいです。福島のハワイアンズ行ってみたいです。
お米とか、野菜とか、おいしそうです。
大人になったら行ってみたい。楽しみだ。
頑張ろとか頑張れとかそれをいう前に
私達一人ひとりが行動に移すことが大切かなって思います。
教頭。自信もって。教頭なら大丈夫だよ。
もしも明日、震災が起こってしまったら。
考えたくはないけれど、備えておかないといけないよね。
震災なんて、起こってほしくないよね。
この授業を毎年聴いてて、あらためてSOLの良さを感じ、震災を改めて考えさせれるときっかけになった。ありがとう、SOL。
あの人達は、運が悪かった。そんな一言で終わらせてはいけないと思った。ここでいろいろ言っても何かが変わるわけじゃないと思うけど、大事なのは今ここからどう生きていくかだと思った。一人の日本人として。
私は学校で道徳の時間が嫌いです。だけどSOL!ではこのような事でも向き合っていけます。
ここからは何らかの手段で残す事も考えなきゃいけないのかもしれない。未来新聞やSOLといった形で。
昼にネットで見て、今も悩ませているのは支援ゴミの存在だそう。自分は支援のつもりが自分の効用を満たす為だけに成り下がる。そして送られた自治体は困ってしまい、廃棄のコストがかかってしまう。だから、一歩立ち止まって支援は何か考えなきゃいけない。
伝えるって事は、各々が一瞬でも考えること。NHKや民放で毎日流すってのは違う。震災を思い返すのは辛いと思う。辛いなら、生きなきゃ。SOLにも亡くなった人はいるかもしれない。亡くなった者達の想いも背負って生きなきゃ、伝えなきゃ。それが自分の最善になると信じて。
長文失礼しました。
未来新聞読みました。改めてあたりまえがあたりまえじゃないと言うことに気づきました。
毎日学校に通う。家族や友達と話す。電車にのる
バスにのる。毎日やっていることが幸せと感じるのはなかなか難しいことだ。人はなにかをなくすとその存在がいかに大切だったかよくわかる。
私たちに今できることって何なのだろうか?
未来に伝えることもそうだけど震災前のまちの風景を伝えることも大事じゃないのかと思います。
1日でもはやく復興できるように祈っています。