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簡単に言葉にしていいのか

簡単に言葉にしていいのかと思います。東京にいる私は、震災というものについて、「何か」を「誰か」を通してしか知らないからです。私はそれが悲しい。実際に行って自分の目で見たい。未来新聞を読んでその思いが強くなりました。
行って何かが変わるのか。目に見える復興に変えるのは難しいかもしれません。でも、自分の中で何かが変わる気がする。何人もの人がそんな変化に出会えれば。1人でも多くの人が震災を身近に感じることができている。そんな未来を私は待っています。

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明日で5年

明日で東北大震災から5年が経ちますね。
あの時は自分の住んでる所も電気、ガス、水道全部止まってました。
それが1晩だけだったけど、1晩だけでも大変だったのに東北の人はどんだけ苦しい思いをしてるんだと想像もつきませんでした。
でもその中であきらめず一生懸命生きてる姿に本来勇気づける側のはずなのに、逆に勇気づけられました。
これからは少しでも役に立つことができるように頑張りたいです!

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明日

今日日付が変わって明日、少しでも良いから東北の事を思い出して下さい。

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ともぼーちゃん

未来新聞読みました。
2011年の閃光ライオットに行っていろいろ見て歩いてたら、「らっち♪さん!」と、声をかけてくれて、「会えてよかったー!」と、涙を浮かべながらも笑ってくれた、ともぼーちゃん。車椅子に座る私と同じ目線に自然となり、軽くしゃがんで話をしてくれたことも覚えてる。とても嬉しかった!元気そうでよかった。元気そうとか、それだけじゃ無いのは分かるけど、声聞けてよかった!また、どこかで笑顔で会いたい!また声かけてね!

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明日は

それぞれが、それぞれの5年間を振り返る1日であればいいと思う。明日1日が、穏やかな日でありますように。

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そうだ

明日は金曜日
5年前のあの日もたしか金曜日
金曜日は小学校のクラブ活動の日だったからよく覚えてる
小学生だった私がもう高2
でもその時から時間が止まってしまった人がいることを忘れてはいけない

生きてることが奇跡

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あしざわ教頭

私も実際沿岸部の事は
同じ宮城、仙台のことなのに異世界の話みたいに
目を塞いでる部分があって

それで、それを認めて
今出来ることを考えてる教頭の話を聞いて
私もちゃんと考えなきゃって思った

そういう考えようって気持ちが
いっぱい広まることも
復興へ繋がることだと感じた

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あの時は

本当に怖かった。机の下に潜り込んで、本当に怖いと体ってすごい震えるんだと身をもって知った。妹が社会科見学に行ってた。無事に戻ってきたがそれまでの間は何度も妹の顔が頭をよぎった。母が来たとき妹は泣き崩れた。自分も泣きそうになった。あのときの恐怖、被災地はこれとは比べ物にならない恐怖と戦ってた。今妹とこのことを話すと「気持ち悪笑」と妹に笑われる。自分の力が被災地の方に届かないなら、せめて側にある大切なものだけは守るよ。いつ東京に大地震がくるか分からない。そのときはお前を絶対に守るよ。あの日を忘れないとはそういうことだと俺は思います。

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あの日から5年

同じ体験をしないとわからないくらい被災した方たちの気持ちは計り知れないものだと思っていたけど、無理矢理理解ばかりしようとしなくても他に自分にできることはたくさんあるからそれに取り組むことが大事なのかな。小さいことかもしれないけど、この前会津のお米を食べました!美味しかったです!

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あの日

正直今日のスクールオブロックだけは聴きたくなかった。私の祖父は、震災の日の次の次の日になくなりました。直接地震の被害だったかはわからないけど、何か深い意味がある気がしました。でも、毎年この時期、震災の話しをしているとどうしても祖父のことを思い出してしまいます。
今日のスクールオブロックを聴いて、正直な思いを言います。私も何か行動しようかと思っていました。気づけばボランティアのページを開いていました。私にできること、今を精一杯生きること。ありがとう、校長教頭。大切なことに気がつかせてくれて。