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「今、できること」

教頭の言葉、すごく胸に響きました。
教頭が、隠すことなく、想ったこと全てを言ってくれて、今の想いを知れてよかった。教頭,そして、校長の声が毎日聴ける幸せに感謝。こんな幸せな日々も当たり前ではない。あの日を境に、聴けなくなってしまった人もいる。だから、その人達の分まで聴いていきたい。その人達の分まで生きていきたい。

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氷の水族館

震災が起こる何年か前 多分今からだと7~8年前
私のお母さんが岩手に住んでた時に通った学校を見に東北旅行に行ってました
その学校は内陸なので津波はなかったはずですが地震の影響は分かりません
その旅行の1つで気仙沼に行きました
ある建物に入ってそこには何があったかあまり覚えてませんがお寿司屋さんがあった気がします
その建物の中にあるのが氷の水族館です
厚いコートを着て中に入ると寒いのなんの
氷で覆われた魚たちが展示されてました
そこで私と妹の3人で写真も取りました
今もアルバムに入ってます
今ホームページを見たら

東日本大震災の影響により、「氷の水族館」は中止しております。

って書いてありました
今はその水族館にいけません
私が大きくなって結婚して子供産んで家族旅行した時に「お母さんは子供の時にここに行ったんだよ」って話せたらいいな
また行ける時が来たらきっと行きます
いや、絶対行きます
また氷の水族館が開館する日を待ってます

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もう5年か…

あの時は中2でした帰りのホームルームの時にものすごい揺れの地震で震度は5弱でした
でも宮城の方では震度7って聞いて驚きました
そして津波が来て津波が落ち着いた時にはもう暗くて被害の様子はわかりませんでしたが
次の日の朝様子を見に行くと変わり果てた街でしたアパートが倒され電信柱も折られリニューアルしたばかりの野球場も壊れもう世界が終わったような気持ちでした

でも音楽で勇気づけられました桑田佳祐の「Let'stryagain」ですテレビでもよく流れてました。歌詞に本当に勇気づけられました

そして震災から5年の今年は震災後初めて東北で国体が岩手で行われます自分は岩手大会の方にソフトボールで出場します沿岸出身は自分含め2人しかいません
そして自分が今できることはその国体で結果を出して被災地の方々や日本の方々に勇気などを与える事だと思います!!

5年経ったけどだからこそもう一度立ち上がる時だと思います日本や世界の元気未来に向かって

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石巻

僕も中学3年の時に一人で石巻まで被災地を見に行きました。家の基盤だけが残ってる沿岸部や傾いたガードレールが印象的でした。日和山公園にも行って震災の爪痕をみてきました。愛知に住んでる僕には被災地の方の気持ちは正直わかりませんが、同じ国に住んでる人間としてこの震災を乗り越えていかなくてはならないと感じました

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解放感

学年末テスト終了ー!!!!!!!
やっとだヽ(;▽;)ノヽ(;▽;)ノヽ(;▽;)ノ

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風邪引いて寝てます

せっかくだから久しぶりに聴こうと思って、今授業を聴き始めました。咳ゴホゴホする度に体力がゴッソリ持って行かれてツラいけど、校長教頭の声を聴いたら、少し辛さが和らぎました。

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あの日から5年

5年前わたしは小学校6年生でした。
地震発生時はひとりで家にいて
ニュースを観てとても驚いていました。
分単位で増えていく行方不明者や死者の数がとても怖かったのを覚えています。
未来新聞を読んで被災地の方々は前向きに生きている方ばかりではないと思いました。とても心に刺さる言葉ばかりで苦しくなりました。同情なんてできないししたらいけないと思うけれど1日でも早く皆さんが明るい未来を思い描けるようになってほしいと心から願います。
今生きていることに感謝しなければならないと改めて強く感じました。
5年前卒業式もできなかった私と同い年の高校生2年生。東北の未来のために力を尽くしてほしいなと思うし私自身できることをしていきたいと思います。

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教頭

去年の震災の授業の時、教頭の様子がいつもと違って、次の日の授業の初めに「無関心」だったと言っていた教頭。それから1年経った今、未来新聞を読んで、教頭が生徒1人1人に向き合ってくれたことが嬉しかったです。
教頭が生徒に、そして震災に向き合ってくれた。そしてまた誰か1人が震災と向き合っていく。これが連鎖していけば、風化することなく、未来について考えられるのではないかなと思いました。

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是非是非来てね♪

これからもどんどん東北のうんめぇもの沢山食って欲しいな~!

たんげうめーはんで!!

皆!東北さこいへ!!☆⌒(*^∇゜)v

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東日本大震災について

わたしは、小学生四年生の頃地震にあいました。
近畿地方だったのでそんなに揺れは感じませんでしたが、テレビを先生がつけた時東北地方が津波で家も何もかも流されている中継を見ました。胸が押しつぶされそうでした。わたしには募金をするぐらいしかできることがないけれど、いつか、被災者の方達の役に立てるボランティアをしたいです。