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3.11

ラジオを聞いていてどうしても書き込みたいという変な気持ちがわき書き込みました。
正直なことを言います。
僕は震災の真実を知りません。あの時どんな状況に人々が陥っていたのか、どれだけ辛く、先の見えない避難生活を続けたのか、何も知りません。
誰か知っている人がいたらぜひ教えてください。
復興ってどれくらい進んでいるんですか?
復興支援のお金はどうなってるの?
原発のこと震災前はどう思っていたんですか?
母は東北も原発の電気使ってたんだから手のひら返すのはどーなの?って言うし、ニュースで取材を受けていた人は原発の電気は全部東京に行ってたんや!って言うし。本当はどうだったの?

今自分の中に、震災の辛さを知らない僕は東北のことを語ってはいけないのでは、本当に震災を知っている人々だけが震災を語ることができるのではないか。このままもし自分が海外に出て震災の話をしてくれと言われた時、語ってもいいのか、自分にもし子供ができて震災はどうだったの?って聞かれたとき、答えていいのか?
語り継がなければならないけど僕がその一端を担いでいいのか?
そもそもこんな質問をしてもいいの?
東北の皆さん、校長、教頭、教えてください。
今、なんかわからないけど泣きそうです。

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もう5年

私の県は被害が東北で極端に少なく、「今住んでるのって本当に東北か?」と思ったのが震災直後。揺れは震度6弱とかいったのかなぐらいしか覚えてない。後で震災の記録とかを見ると、「山形県ありがとう」の文字が多数。山形空港はドクターヘリの拠点となり、山形県全体は、福島からの避難者受け入れという形で被災地を支援しました。私は当日小5。帰りの会がちょうど終わった時にあの揺れが襲いました。当時の担任はいたって冷静で、「机の下に入れ!震源は大体宮城沖だ」と。揺れは長くそして弱く。長すぎて泣き始める同級生も。当時の私は「海の震源だったら津波……」と一瞬考えましたが、すぐに家族のことを考えざるを得なくなり、かき消されました。今思ってみると、担任の言葉は当たってたし、あの時考えていたら、これまでボランティアとかやってたのにと思ってしまいます。でももう5年。なんか虚しい。なんかやりたかった。今の自分に何ができるのだろう…

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言葉にすると軽くなってしまいそうだけど

5年が経とうとしてる今、自分には何ができるのか考えています。復興の為に募金をするということしか浮かばなかった自分が無力だと感じます。被災した人たちの恐怖、不安、悲しみの記憶を消すことはできなくて、無かったことにすることも自分にはできません。未来新聞や掲示板を見て、体験した人のあの時のそれぞれの状況を知りました。とても胸が痛くなりました。
何ができるだろう。今ある全ての命を大切に、生きる。この震災を考えることを止めない。少しでも笑顔を作り出せる力になる。微力だけど自分にできることをします。

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今の日本は

今の日本はいつ火山の噴火や震災とかの自然災害が起きるか分からないから、日頃の備えをしっかりしたいね!(^∇゜)v

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あの日についに

僕は、特に酷い被害にあった訳でわ
ありませんがしかし
地震の時は、小二でとても怖くて
母と弟は、ディズニーシーに行っていて
家族もバラバラで
父と2人でとても辛かったです
自分には何も出来ないが
早く復興することを祈っています

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思い込み、誤解

これは友達が体験した話です。
進学して福島を離れた友達が、福島の食材は食べたくないし、子どもとか福島の子と結婚なんてしてほしくないということをいろいろ言われたらしく、それを聞いた瞬間怒りを超えて悲しみがこみ上げてきました。
震災直後は自分も似たようなことを言われたことがある。けど5年経っても正しく理解されてない、何も知ろうとしないのに文句ばかり言う!まずは自分で確認してから発言してほしい。傷つく人は山ほどいる!
そんな人がいなくなる世の中になって欲しい!

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3.11。

僕は高知県に住んでいて、TVでしか東日本の様子が分かりませんでした。
今でも、あまり分かっていないと思います。あれから5年も経つんですね。
高知県にも、30年以内に必ず、南海トラフ地震が来ると言われています。
3.11を忘れず、自分達のやれることをやって行きたいです。
どう足掻いても、あの日には戻れません。だけど、同じ事を繰り返さないためにも、準備をしていきたいです。

ハジ→ /「3.11。」
自分も、あの日を忘れない事が大切だと思います。

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未来新聞と今日の放送を聞いていて

5年たった今でも知らないことばかりだなと思った。私自身の足で東北に行って自分の目で確かめることがきっと大事なのだと感じた。未来新聞や掲示板などに震災のときのことを書いてくれている生徒さんには普段のメディアなどでは知ることのできないことを教えてくれている。ありがとうを伝えたい。

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3.11から5年

今年も「未来新聞」が発行されますね。おととし、去年と聞いてきて
このまま忘れてはいけないと思って日記に書いたことを思い出しました。ラジオで聞く現地の10代の声からは現状がひしひしと伝わってきました。
直接被害にあっていない側からは無責任なことは言えない。経験した人にしかわからない景色、体験があるしその心境は想像をこえるものだと思います。
だからまずは現地の人の話を聞いて現状を知ること、復興に向けた支援をすることが使命なのではないかと思います。

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あの日

あの日、僕は小学四年生でした。当時の僕は、好きな歴史の繋がりで災害に興味を持ち、よく調べていました。
東日本大震災が起こったとき、僕は学校にいました。家に帰ってテレビをつけるとどのチャンネルも東北ばかり写していました。そして何時だったか、その日のニュースで津波の映像を見ました。
まるで地獄絵図。
言い方は悪いかもしれませんが、そう思いました。
僕が初めてリアルタイムで目にした大地震。資料でしか知らなかった災害がそこにありました。
そして、確か次の日のニュースで、原発事故を知りました。僕は、原子に興味を持って調べていた時期があったので、そのニュースが如何に恐ろしいものか、よくわかっていました。

未来新聞は、毎年読ませてもらっています。そして毎年泣きます。特に身近な誰かが死んだという話は、数年前に癌で亡くなった僕の恩師に重ねてしまい、泣いてしまいます。
僕が住んでいる徳島県は、過去に大地震に見舞われています。南海地震です。東日本大震災が起きて以来、よく南海トラフという言葉を聞くでしょう。それは3つの大地震を引き起こす箇所の総称で、南海地震はそのうちの一つが起こす地震です。近年、この3つが連動して大地震が起こるのではと言われています。東日本を越える被害が出るとも。本当に三連動地震が起こるのか、起こっても東日本を越えるのかわかりませんが、未来新聞を教訓にして家の中の防災に努めています。あの日以来、募金箱を見つけたらなるべくするようになりました。
僕は東北に行ったことがありません。行きたい場所はたくさんあります。伊達政宗、大好きです。いぶりがっこ、食べてみたいです。中尊寺、今一番行きたい場所です。いつか、行ってみたい。いや、絶対行きます。
僕みたいな小さな地震すらほとんど経験したことない者が言うのも烏滸がましいのですが、更なる復興を願っています。