友情とは難しいものである。
お互いに友達だと思い合っていないと存在しないもの。どこからが友達なのか明確な線がよくわからない。う〜ん。難しい。そんな感じ。
友情とは何物にも置き換えられないもの
だと思う。
それはもちろん言葉にも。
そのくらい複雑に入り乱れている
ものだから、友情は難しい。
アメとムチです。
普段は楽しく笑え会ったりして必要なときには指摘してくれる関係かなって思います。
逆電下さい!本当にお願いします!後悔したくないです(泣)話したいことがあります!!
友達とどうでもいいつまらない話してても楽しい。友達と喧嘩しても本当に仲のいい子なら仲直り出来る。そしてもっと友情が大きくなる。
だから友情って最&高だなぁ。
友情とは(どんなに離れていても、毎日会えなくても、どんな時でもお互い助け合える事ができ、なんでも話したり相談する事ができ、自分を出す事が出来る存在)である
友達の間にも秘密ってあって
それはどうしても人には見られたくない部分だったりして
お互いにわかってるから深くは聞かないけど、でも、ちゃんとそばにいてくれる存在だと思います
私には友達11人しかいないと思うけどそれで多すぎるくらいに十分
BLUE SKYです(`_´)ゞ
スマホにしたので、これからは聴ける時にはラジコで毎日聴きます。
これからもよろしくお願いします( ̄^ ̄)ゞ
夢遊さんの言うこと、分かるなー。
友情って自分にとって大切なものであるからこそ、もしそれが壊れた時に、自分まで壊れてしまいそうになる。
それだけ大切ってことなんだよな。
この曲、ほんと聴きたかったんです。どっかで聴けないかなあって。よかったです。
私にとっての友情とは経験です。新しい友達ができれば、いつか別れがきますが、その間はたくさんの思い出、出来事が経験できます!別れを何度も経験することで、強く結ばれる友情、たくさんの友情が生まれると思いますo(^-^o)
なんだかんだで隣にいてくれるじゃない?単純に。結局はお前の隣にいちゃうなーみたいな。やっぱお前といつもいちゃうよなーみたいな感じかな?上手く言葉で表せないな(>人<;)
友情とはつまり一緒に時間を過ごしているその空間にいる人と笑顔をわかちあえることのことだと思う。
あとはよくわからない
友情とは、人生である。よくも悪くも、人の性格や趣味、憧れなどの何割かは友人によって変わってくる。そう考えると友人はある意味人生なのではないだろうか。
私にとっての友情とは自分を出せる場所です。4月から大学生になり、まだ回りに友達がいなく自分を出せてなくとても寂しいです。他の友達はもう友達できたかなー
私、ちょうど先週金曜に1番仲良かった人と喧嘩しました。
今まで抱えてた不満とかが一気に爆発して。
もう2度と仲良くならないと決めました。
それくらい私は傷つきました。
『友情とは、時に矛、時に盾』
『“友情”ってさ、◯◯だよね』『友達ってこういうものだよね』って、
そういう定義みたいなもののせいで、
そうではなくなったり、それに合わなくなった時、喧嘩したりしてしまう。
逆に“友達”って、最高の武器になったりもする。
代わりに立ち向かってくれたりだってする。
最強に心強い存在で、強くいられる。
そんな“矛”。
私の場合、救ってくれたのも“友達”、“友情”でした。
私を守ってくれるのもまた、“友情”。
逆に“友情”を気にするあまり、
新たなステージに踏み出せなかったり、
例えば進路とか色々決めるときに合わせなきゃいけなくなって、自分の本当に思った道に進めないとか。
そんな“盾”。
ほんの少しの気持ちや捉え方だけで、
どっちにでもなれる。
女子なんか特に、ほんの一瞬で矛と盾が変わったりする。
それでいい。というか、どっちかしかない。
喧嘩しないことが“友情”なんじゃない。
何十年も付き合えることが“友情”なんじゃない。
神聖かまってちゃんの「仲間を探したい」です。いつかこのバンドのことを死ぬまで話せる仲間を探したいです。
友情って色々な形があるよね。
その時々で形も変わるし、感じ方も変わるし。
だから友情って奥深いのかな?って思う。。。
こんばんは〜僕は思います。
僕は友情はなくなっても無くならないものだ思います。なぜならば、友情という存在は、離れ離れになっても、また、会えなくなったりして形としてなくなってしまっても、心の中には思い出としてのこるり、無くならないと思うからです。
僕自身も親の仕事の関係で小学校の時に一回、中学校の時に三回の転校をしました。その時にも、僕は友だちと離れ離れになってしまい、とても悲しかったです、、、、、しかし、自分は、形としてはなくなっても心の中にはずうっと生き続けると自分に言い聞かせ、前向きに次へのスタートを切ることができました。
また、次へのスタートを切るとともに、自分はたくさんの友情という強い味方に支えられているのだなと、とてつもない勇気が湧いてきました。
なので、自分にとっての友情とは、自分の次への一歩を押し出してくれるかけがえのない強みだと思います。どんなにくじけても友情は、いつでも自分の強い味方になってくれます。この転校という経験は自分に大切なものを教えてくれました。
高校生になり、離れ離れになった友だちとも高校などで会えやすくなりました!なのでまたあって懐かしい話をしたいです!
友情とは『仲間』であり『ライバル』であり、そして『他人』であると私は思います。
最後の『他人』は、悪い意味ではありません。
それは、後で書きます。
まず、『仲間』。義務教育九年終えて、友達と離れてしまいました。
ですがこの間、中学校にアルバムを同じ学校の友達と取りに行ったのですが、他校の友達と会って、たくさん話をしました。
久しぶりに会ったけどあまり変わってなくて、どこかホッとしたのと同時に、やっぱり学校変わっても同じ学校で一緒に過ごした仲間なんだなと思いました。
次に『ライバル』。これは高校に入ってからの友達のことです。
私は弓道部なのですが、見学の時から仲良くなって一緒に部活入った子がいるんですが、同じ部活なので、甘えてもいられません。
これから団体で一緒に戦う仲間だけど、ライバルでもあるので共に高め合っていきたいです。
最後に『他人』。これは至極当たり前のことなんですが、LINEやショートメールだと顔が見えない分、どうしてもオーバーに言い過ぎることがあります。
それで友達との仲が悪くなるのは嫌だし、辛いので友達はあくまで『他人』だということを忘れずにいかないといつか後悔すると思います。
だから後悔しないために、友情が壊れないように、友達と付き合っていきたいと思います。
ずっと一緒にいるからこそ、わからなくなることこそが本当に大切なことなんですよね。
だから私は友達に、友達との友情に改めて感謝したいと思います。
今日から毎日一つ以上書き込みすることをここに宣言します!!
さーていつまで続くかな??
友情とは、不確かだけど確かなもの。
友達だと思っているのは私だけかも知れない。そんな目に見えないものだけれど、それでもその思いは確かにそこにあるから。
目に見えなくても大事に、大切にしていきたいです。