僕の兄が今東北の震災復興の現場にいます。
その現場を見ると、復興へ一歩一歩進んでいるような感じがします。
でも、復興が全く進んでいない現状...
それを考えたら東日本大震災の次にこのような災害が起こらないように対策しなきゃならないと思います。
あの日妹は風邪で休みで本当に良かった
家族も無事だったし
東北に比べて被害はぺーぺーだったけれども
あれほど大きな地震は体験したことなかった
自分達は東日本大震災の生き残り
戦後先人がその記憶を伝えていったように
自分も後世に伝えるようにしたい
風化させるわけにはいかない
私達の未来に希望のかけらを捧げよう
幼かった私が大きくなりました
何にもわからなかった私が音楽作ってます
あの日生まれた君はいくつになりましたか
希望を見失ったあなたは今何を思いますか
終わらないこの道に
未来に繋がるこの道に
あの日のことを伝えよう
家族の帰りを待っている人も
明日生きる為に頑張っている人も
未来に希望のかけらを捧げよう
今日にさようなら
目の前の光景に泣いたあの日
電波から流れる声を聞いて泣いたあの日
家族がいなくて泣いたあの日
私達は絶望に落ちました
苦しめられたあの日から時はたち
大きくなった私達を過去は見守っている
終わらないこの道に
未来に繋がるこの道に
あの日のことを伝えよう
家族の帰りを待っている人も
明日生きる為に頑張っている人も
未来に希望のかけらを捧げよう
明日にこんにちは
新しい道を進む君にも
まだあの日の現実を受け止められないあなたにも
明日と言う未来が待っている
幼かった私に子供ができました
そんなことを言える日が待っている
地面に咲いた花は私達を見守っている
未来に希望のかけらを捧げよう
校長!教頭!こんばんは。
今日の授業のタイトルと違いますが…
今日で公立高校入試が終了しました!自分でも予想していなかったぐらいに解けてて合格発表が楽しみです!
あのとき僕は小学1年生でした。僕の住んでいる福島市も水やガスが止まって凄く大変でした。避難してきた子も当時はいじめられていました。
去年、初めて原発のある大熊町に行ってみました。そこには草だらけの畑や、一階部分だけが被災した家などがありました。
また、皆が元の様な暮らしがでくるようになるにはまだ長い時間がかかりそうです。
風評被害は6年前から変わっていない気がする。
前は自分ができることはないんじゃないかと思っていた。
けど、今はこうやってたくさんの人に想いを伝えることができる。
みんなで手をとりあう世の中になったら、希望を持てるニュースが増えるかもしれない。
そうしないと本当に大変なことが起こった時に日本は終わってしまうかもしれない。
手をとりあう事の大切さを海外の人が示しているのに日本がこんな事でどうするんだろう。
僕のこの書き込みで今すぐに変わって行くことはないかもしれないけど、僕は伝えることを諦めない。少しでも力になりたい。一人一人の力が変えて行くと信じたい。
僕は、2012年にご縁があり、南三陸町へ行かせていただきました。まだ1年しかたっておらず、見るのがただ辛くて涙が出ました。僕の住む兵庫県は以前阪神淡路大震災がありました。僕は経験していませんが、地元と東日本、熊本が繋がるのは僕たち若い世代だなと改めて思いました。東日本にいるみんな!不安だと思う。もし逆電していただけたらメッセージを贈りたいと思います。