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フクロウの眠たくなる話 #5

震災について長々と打ち込んでさぁ書き込むかと思って確認画面に行こうとしたら画面真っ白になってフリーズして全文消えた……(´・ω・`)
ちょっと萎えてしまったフクロウです。
震災発生後といえば、あらゆる物資が不足したのが1つ印象に残ってます。特にガソリン……ガソリンスタンドには長蛇の列。冬場だったのでみんな車使うしね。
その分ガソリン積んだ車(名称忘れた)が来ると嬉しかったなぁ。当たり前に感謝した瞬間だった。

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忘れてはいけない

当時小学5年生。
理科の実験中に友達が「今なんか揺れなかった?」と言ったけど全然気づかなくて。帰る時に、先生が「地震あったみたいだ」と話している声を聞いて、なんでそんなに騒いでるの?何があったの?と不安になって、家に帰ってからすぐにTVをつけたらあの津波の映像がリアルタイムで映し出されていて…
自然と涙が出て止まらなくなって怖くなって、しばらく1人でいることが怖くなった。。。

でも東北の人はこれより何十倍も怖い思いをしているわけで。
6年経った今もなお進まぬ復興や次々に来る二次災害に苦しみながらも必死で生きている人達を見ると、自分の悩んでることとかがちっぽけに感じる。
東北の方や、九州の方は今も恐怖と闘っている。
うちらもいつ来るかわからない南海トラフに怯えながら暮らしている。
地震が来なくなればいいのに…何回思ったことか。地震がなければ失わなくてもいい命が失わなれる事もないのに…
天災って本当に怖い。怖いし憎い。
でも天災は誰も悪くないから誰も責められない。防ぎようがない。

今できるのは、東北と九州の1日でも早い復興。東北からは6年。九州はまもなく1年経つというのに復興が全然進んでいない。表面上綺麗にしたって意味がない。みんながまた笑って暮らせる生活に戻してほしい。。。
そして、次いつ来るかわからない災害への対策。出来ることを少しずつでいいからしていけばきっと日本は変わるはず。

うちらに出来るのは、亡くなった方々が生きたかった明日を、未来を恥じぬように全力で生きていく。
そして、みんなにまた笑顔が戻りますように、出来ることをしていきましょう。




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明日はー

久々に学校!
そして卒業前最後の学校!
いろんな人と喋れるといいな(*´-`)

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今夜の短歌#57

いい授業だった...こんな気持ちになれるのSOLぐらいでしょ...

【今夜の一首】
今はただ 同じ星空 眺めてる
君との時間を 大事にしたいな

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今日と言う日

今日まで俺たちが生きて来られたのは不謹慎かもしれないが他の人の犠牲があったから。
今日と言う日も明日も昨日も人生で一度しかない今日を生きたかった人もいれば明日を生きたかった人もいる。不謹慎かもしれないが震災の時も他の人の犠牲があったから俺たちが生きて来れたかもしれない。だからその人たちの分まで生きなければならない。今日と言う日が自分にとっても他の人にとっても人生で一番良かった日にしないといけない。
どんなことがあっても今を大切に
生きられることに感謝
明日という日も最高のものに

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6年前のあの地震のあと

僕はあの瞬間、く〇んで勉強していた。それはどうでも良いとして、全国の人の考えがガラッと変わってしまった。僕もその一人だ。
その後、何年か経ってボランティアで大槌町に行った。分かったつもりでいた。地震についても、阪神淡路大震災の震源地に近いので色々分かっているつもりだった。そんな自分が恥ずかしかった。見た感じ、残った建物はたった1つのビル?、だけだった。僕はそこでお世話になった。
夜、散歩に出てみると、おそらくそのビルの隣の建物の基礎だったのだろう、鉄筋がこれでもか、というぐらいフニャッと曲がっている。
よくある間違いなのだが、津波がただの大きな波だと思っている人がいる。違う、ただの波は水の幕だ
津波は、
壁だ
全ての重さがのしかかった結果
あの鉄筋は曲がった
いま、僕に、僕たちが身近に出来ることは何か
それは「理解すること」だと思う。
偏見をなくし、本当のことを理解する。
簡単なことだ
だからこそ
いま、やるべきことだと思う。

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1歩踏み出そう。

今踏み出さないと未来は変わらない。
すごく心に響きました。
素敵な言葉をありがとうございます。

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3・11

その時小4でした
ちょうど社会の授業で友達とか自分の服の原産国を見てそれを終えてみんなが席についた直後だったっけな
誰かが揺れてるって言ったらみんなが一斉に机の中へもぐった
長い揺れ、いつもは強気なのに泣いてるクラスメイトの女子、窓がガタガタ言ってる、蛍光灯も揺れてる。これまでに経験したことなかった。
すぐに校庭に逃げたけが人はいなかったが校舎にヒビが入ったところもあったとか。最初学校の近くにある大きな断層かと思った。でも校長先生が「東北地方で震度7でした。」って言われた時え、これより強いのって衝撃だった
妹は下校中だったけど何も無かった
お母さんはいつも家にいるしお父さんはたまたま体調崩してて休んでたから帰宅困難に巻き込まれることも無かったから不幸中の幸いだった。私の友達のお母さんが帰ってこれなくなったので夜まで引き取ってた
そう考えると家も棚の扉が開いたぐらいだし何もなくて本当にありがたいと思った。
でも1つ怖いことがあった。コストコ多摩境店の駐車場に行くためのスロープの屋根が地震で崩れて死者も出るようなことがあった。その日は親が2人でそのコストコに行こうとしていたらしい。でもお父さんが体調崩したから行かなかったそうで。もし行ってたら…多分子どもが帰ってくる前には家にいるようにするから午前中で家に帰ってたかもしれないけどギリギリまで買い物しててあの瞬間2人が車に乗ってたら…そう考えるとゾッとしてしまいます。
なんか寝る前に書き込んでたら夢に出そうで怖いんでこのへんにしときます。
あれから6年
未だに少しのことで揺れてるような気がする。お風呂とかなんだか怖い。私の恐怖なんか東北の人たちには比べ物にならないぐらいなんだろうけど、怖い。

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これからも

6年経っても復興は現在進行形でまだ続いている。
だから私たち東北以外の人間でも何かできることをしていきたい。
がんばれ、東北!!

TOSHI-LOW先生、今日は貴重なお時間をありがとうございました!!