あの日、私は小学六年生でした。その日、私の学校は登校班の引き継ぎのために一斉下校でした。マンションのエレベーターに乗り、降りて、家の鍵を開けた瞬間、大きな目眩のようなぐらつきがあって、頭が真っ白になったけど、このままじゃ危険だと思って、急いで鍵を閉めてドアがロックされた状態で、地震で揺れる中ドアノブを掴んで1人耐えました。もう少し早ければ家に閉じ込められていたかもしれなかった。もう少し遅ければエレベーターに閉じ込められていたかもしれなかった。本当に危なかった。小学六年生の記憶なんて全然ないけれど、その日の記憶はとても鮮明にあります。絶対に忘れられない日です。絶対に忘れられてはいけない日です。
3月11日、長崎駅でコンサートをします。
2011年紅白歌合戦の「ふるさと」も演奏します。
いま、音楽ができることに感謝。
心無い人たちによるいじめに、とてもショックを受けました。
音楽で伝えられることがある
伝えようとする気持ちが大切
知ろうとする気持ちが大切
SOLでつながることで、誰かを支えたいです
私は小5だった。
学校から学童に帰ってきたらテレビで震災のことがやってて、恐ろしくなったけど正直他人事に考えてた。
実際に被害に遭った人たちは、大変な思いをしていたはずなのに。。もうちょっと考えればよかった、って今は思う。
あの震災の後、自衛隊の皆さんが大きな活躍をして下さったことを忘れてはいけないと思います。
今は憲法や集団的自衛権の問題などで肩身の狭い思いをされている部分はあるのかもしれません。中には彼らを悪者のように扱うメディアや政治家もいるようです。
しかし、このような災害のときに彼らの力に僕たちが助けられることを忘れてはなりません。
私達が生きてるこの世界に
生きる
とう3文字が人を繋いでいるんだなぁって思った。
悲しみに包まれた世界も、明日は来てしまうから少しでも前向きになれる日が来るといいと思う。
わたしは6年前、四年生で友達と下校してる最中でした。友達が『揺れてない?』と言ってから多な揺れが起こって学校の避難訓練はやっているけど登・下校はどうしたらいいのか分からなくてその場で頭を隠していることしか出来ませんでした。あれから6年が経ったなんて信じられません。ついこの間のように思えます。あれ以来しっかりと学校の避難訓練や家族と一緒防災について話し合うべきだと改めて実感しました。
ハジ→の3.11を流してください。
校長、教頭。
この曲はあまり知られてないけど
日本人として聴くべき曲だと思います。
本当に素晴らしい曲です。
どうぞよろしくお願いします。
やっぱり震災を経験した人たちって他の人よりも2倍も3倍も強い人間になってると思った。おれだったら原発の人たちのこととか恨んだりするけど震災を経験した人たちは憚れたりとか嫌がられてもめげずに頑張ってるのが伝わった。僕たちができるのは寄付だとか、ボランティアくらいしかできないけど、ものすごい他人事に聞こえるかもしれないけど、これからも頑張ってください。
元気出して!「きっと」をあたまにつけて文章を作ってみて!
きっとまわりが明るく見えてくるはず!
東京の人が使ってる電気、福島第一原発でつくられてた電気でしょ?
なんで嫌がるの?
私6年前不思議だったよ。
なんで「福島」第一原発なのに、東北電力じゃなくて東京電力なのか。