一度も行ったことないから東北に行ってみたいな〜今被災地の人たちが頑張っているから俺は行きたい。でも震災の事を考えると今抱えている傷は計り知れないし、今自分が何も出来ないと思うと悔しい。
2011年3月11日から早6年。
もう6年も経ったのかと思いました。
6年前の3月11日、私は小5でした。
今まで感じた事の無い大きな揺れに
ただただ机の下で固まっていました。
家に着くと真っ先にテレビをつけました。
被災地の様子や津波の映像を見て、
津波はこんなにも恐ろしいものなんだ、
新潟県には津波が来るのだろうか…と
本当に怖くなりました。
日本人は
【困難にも諦めず団結して立ち向かえる】と
外国から評価されています。
あの日から6年。
沢山の人々が団結して動き、励まし合いながら、
現在まで来たのだと思います。
私は募金ぐらいしか協力できませんでしたが、
絶対にあの日を忘れない事は誓えます。
家族を失ってしまった方々がいる事、
友人を失ってしまった方々がいる事、
それでも前を向いて歩いている方々がいる事。
後世に伝えていかなくてはいけない事だと
思いました。
東京オリンピック、いろいろ問題点が浮かんでいる。
でも、それだけじゃない。
「復興五輪」が掲げられているけど、そんなに簡単なことじゃない。
まだまだ、復興が進んでいない部分もあるし、僕等もちゃんと震災のことをわかっているわけじゃない。事実、理解が進んでいないから、いじめが起きることにもなる。
僕等に、何ができるのだろう。
6年前のあの日、小5のとき外で体育の授業で走り幅跳びの記録をとる時に友達が揺れてるって言った瞬間大きな地震が襲いました。
僕は神奈川に住んでて小学校も神奈川県内なので大きな被害はありませんでした。
ですが、ほんとに地震の時死ぬんじゃないかと思いました。
そのあと、とんでもない状況であることを知り唖然としました。
あの時のことは一生忘れないと思います。
あれから6年か。小学6年の時でした。家に帰ってからテレビでずっと見てた。「何があったと?」って聞いたな。その後福島での原発事故。
すごく衝撃だった。最近では原発避難によるいじめも多い。ニュースを見てると胸が苦しくなる。「福島から来たから」とか、「放射能移るから近づくな」とか、決め付けるの大っ嫌い。人はなぜ、これだからと決めつけて差別するのか。今でもいじめにより苦しんでる人はいる。私に何か出来ることないかなあ。
SOLを聴き始めたのは、震災がきっかけでした。いつも被災地に寄り添ってくれる校長、教頭、SOL生徒の皆さんにありがとうございます、と言いたいです。
これからも共に進んでくれたら嬉しいです。本当にありがとう。
私は震災当時、小学4年生でした。帰りの会をしてるときに大きな揺れがきて私も小学生であったので正直友達と少し笑いながら興奮していましたが、家に帰りテレビで震源地の状況を見てショックを受けました。なぜかというと、私が幼い頃に住んでいた宮城県のアパートと友人の家が大変なことになっていたからです。私は当時のテレビ画面をいまでも鮮明に覚えています。突然身の回りの人が亡くなることがあるので、今の友達や家族、自分に関わる人を大切にして生きてほしいです。亡くなった方々のためにも私は弱音を吐かずに必死に生きていきます。
先程の逆電ありがとうございました、
狸のたろーです!
震災の時のことは今でも鮮明に覚えています。
テレビでは一部の情報しかとりあげられてません。
その情報が100%正しい訳でもありません。
だから、調べてみてください。
本当に辛かった人は忘れたいだろうし、
無理に忘れないでとは言えませんが、
私から言えることは、もっとあの日のことを知ってほしい、もっと福島のことを知ってほしいです。
桃も!海も!素敵な県です。
ぜひ一度来てみてください。
復興してる途中の町に来てみてください。
長文失礼しましたm(_ _)m