私は将来保育士になりたいと思っている
いろんな子と関わることがあるはず
だから
虐待を受けている子のSOSを見逃さないようにしたい
でも、SOSを出してくれないと気づけないことも多い。
される側もする側もきっと辛いはず
赤の他人である自分が首を突っ込むのは怖いけどでも、それで小さな命と誰かの行き詰まった気持ちを救えるなら頑張りたい。
虐待はいじめと一緒で無くならないかもしれない
でも、きっと手を差し伸べれば救える命だから
もう虐待で亡くなった子のニュースを聞くのは辛い
だから周りが自分が変わらないとダメなんだ
虐待をなくす方法は分からないし、そんなものは無いかもしれない
でも、現実から目を背けないことはできる
簡単に解決することではないけど、だからこそ目を背けないでいたい
僕は逃げてもいいと思います。だってこの環境が苦しい、毎日が辛いのに必死に立ち向かわなくてもいいと思うし、自分がどうしたいかということに親なんか必要ない。自分がしたいことなんだから。でも死ぬとは違う。この世界が消えたら意味がない。一人で抱え込まないで。親が駄目なら友達でも。友達が駄目なら近くの大人。それでも駄目なら児相があるじゃないか。自分を悪く思わないで。頑張って。
虐待って身体的な話だけでなくて心理的なものもあるし
色々難しい
まず僕は言葉が大好きです
僕ら人間喋れてるって凄いなと思うし言葉を使える生き物でよかったと思います
でもだからこその言葉の危険さを
自分という人間の危うさを分かって言葉を使わなきゃならないそれはいくつになってもずっとだと思う
大人になったから人間として完成する訳ではない
そして自分が絶対的正義じゃないと
そう思っていたい
虐待を無くすことに貢献なんて出来ないだろうけど
誰かを故意に傷つける行為だけは
死んでもしないとそう強くこれからも自分に誓い続ける
色々考えさせられたな。
すごく濃い時間だった。
でも、やっぱり2時間じゃ足りない。
もっともっと時間が必要だと思った
今日の授業を聞いて、これからも虐待について真剣に考えていこうと思った。
少しでも虐待で苦しんでいる人を救い出すために。
この授業が開かれるきっかけを作ってくれた生徒さん、ありがとう。
顔も知らない名前も知らない。
どこかで今日も頑張って生きている君へ。
もう消えてしまいたい、死にたいと思っている君へ。
先に言います。綺麗事かもしれません。
それでもよかったら見てください。
明日夜10時に再び会えるように。
さーけーべーーーーーーー!!!!って、叫べるように。
また、とーやま校長あしざわ教頭の話で笑ったり泣いたり悲しんだり喜んだり出来るように。
そんなふうに出来るように。
明日も頑張って生きてください。
虐待は「ウチならではの指導」ではないんです。
どうか、どうか、お願いだから。
逃げてもいい。とにかく生きて。
また明日10時にさーけーべーーーーーーー!!!!って、叫ぼうよ。
待ってます。
どこの誰か名前も顔も知らないただ一つSCHOOL OF LOCK!が好きという接点がある、RNゆーだいより。
私たちの世代が虐待について関心を持つことで
私たちが親になった時には虐待が減っていくのかな。
精神病理学や臨床哲学の専門用語になるのかな?、それで言うところのアクチュアリティ、述語的な主語を失ってしまっていて、しかもそれを言語化出来ていない人たちの孤独や痛みも和らいで欲しいな。
アクチュアリティが損なわれるからこその痛みと、アクチュアリティを持つが故の痛みと、両方和らいで欲しいな。
専門用語ありきの話になってしまうけど、、、。
ウォッカ飲んで、意思決定を最低限して、薬飲んで、ストレンジャーシングス観て寝よう。
私は将来児童福祉司になりたい。
悩んでる人困ってる人を助けられる人になりたい。
自分と同じ目に遭ってる人を助けてあげたい。。