ラジオを聞いたあの日。
3月14日の日に救われた。
とーやま校長のあの声に安心したことを覚えています。
停電から復旧して、少し安堵した時に、
生放送が始まりました。
安心した、不安まみれだった小学3年生のあの頃から、もう高校を卒業しています。
月日が経つのはすぐで、忘れてはいけないなって想いをすごく感じてます。
3.11を聞くと東日本大震災を思い出しました。
僕は、長野県に住んでいますので、被害も少なくなおかつ保育園に通っていたのでその時の記憶は、あまり残っていません。でも、映像は、噓をつきません。ものすごい景色でした。
今は、復興が進んでいるみたいですが、まだ、完璧では、ないはずです。
なので、学校のボランティアに積極的に参加したいです。
東日本大震災から今日でちょうど9年いまだ復興できていない地方もありますがすでにどんどん風化していく傾向にありますこの風化をおさえて行くこと 語り継いでいくことそれが今僕たちにできるすべてだと思っています
黙祷って仏教の習慣で、「賛同する方は~」みたいな枕詞があるけれど、それを強制する雰囲気があるので、困っている他の信者がいることを小学校のときに初めて知った。
ことを忘れかけて、今日思い出した。
みんな震災について色々書き込んでくれて、それだけ東北に対する思いが強いんだな・・・
ありがとう,勇気持てました。新たな1ページ刻みます。
大震災。その時、自分は、小学1年生でした。
当時、名古屋に住んでいて、被害はほとんどありませんでしたが、母親の実家が仙台なのでそちらの被害を聞くたびに、小学生ながらことの重大さを感じていました。
毎年、この時期は報道で津波の映像が流れたり、悲しむ人々がクローズアップされます。勿論、風化させないことは大切だし、悲しみを共有することは被災者の救いになると思います。
でも、今年で9年、来年で節目の10年。もっと、東北が元気に復興した姿をクローズアップして欲しいと思います。亡くなった方は帰ってこないし、元通りというのは無理でも、震災前の元気で明るい東北に少しずつ近づいてることをもっと広めることも重要だと思います。被災した方を含め、皆が前を向いていくためにも。
長くなりましたが、これが今自分が思うことです。亡くなられた方に改めてご冥福をお祈りすると共に、少しでも東北が元気になってほしいです。
9年前の今日、僕は幼稚園の音楽発表会に出て、その後小学校受験関連のイベントに参加していたらしい。その後、キリスト教の小学校で毎朝東日本大震災の復興の為のお祈りを毎朝していた。今日、そのお祈りを久しぶりにしたところです。
改めて、一日でも早い復興をお祈りしています。
ずっと家にいると気分が塞がってきます……昨日母が妹のママ友に父の職業を差別されたと憤っていました。多分こういう文化は関西の方が残っている気がするんですが、どうなんですかね……職業に重い軽いなど無いと僕は思うんですけど……
校長のご意見を聞いてみたいです。
いろんな震災がテレビで流れる度に防災バックを準備しようと親に伝えてもそーやな〜でいつも終わってしまうのがむずがゆい。次は自分が被災するかもしれないのに…もう一回伝えてみようと思います。
とーやま校長の記事を見ました
当時は聞いていなかったですが、スクールオブロックは大切な場所だと思いました
「アネモネの咲く春に」を流してください