今でもはっきり覚えています。
地震のせいで私の住んでた地域が停電しました。
水が出ないので、近くの中学校からわざわざ水を貰ってきました。
電気もつかないので、夜は暗い中で懐中電灯一つつけてご飯を食べてました。
当時の私は幼稚園児だったので、生活の不便さに腹を立て、家で泣いてばかりいて母を困らせてしまった記憶があります。
あの日の出来事は絶対に忘れられません。
今日、臨時休業が延期されて3月22日までになった。
1年間同じクラスだった人達とももうお別れになった。
私はクラスの中で目立つ方ではなかったし、クラスに思い入れはなかったけど、今日の延期が決まってクラスの人ともう同じ教室で一緒に勉強することがないんだなと考えたら少し寂しくなった。なんだかんだでみんないい人で隣とかになったら話しかけてくれてたし、クラスで仲がよかった人もいたし、その人とももう話す機会がなくなるって考えたらもっと話しとけば良かったなって思った。みんなこれで最後かもしれないってなってた時に泣いてて、なんで泣いてるんだろうって思ってたけど、今ならその気持ちが少しわかる気がする。もうちょっと話しとけばよかったなぁ、、、
昔、岩手に住んでいて幼稚園の頃なんのであまり覚えていないけどあたり前の日常はこんなに簡単に崩れてしまうのかと思いました。
だから、毎日を大事に過ごしたいとあのときを思い出して思いました。
あの出来事は忘れることはありません。
東北出身の卒業生として東北の復興を肌で感じ、仕事で地元に貢献し、震災の記憶を伝え、東北出身に誇りを持って一歩を歩みます
あれから9年。あの時は、小学5年生だった。ちょうど帰りの会をやる前でロッカーにランドセルを取りにいってるときだった。しばらく、机の下で待機して、教室のテレビで見た東北の様子は信じることができなかった。祖母が迎えに来るまで、静岡でも大きな地震が来るんじゃないかと不安になった。
それから、恐怖で忘れたくなるときもあった。
しかし、毎年 3/11には、絶対に思い出す。あの時、多くの方の命が奪われてしまったこと、日本の団結力を試す時だということ、そして忘れてはならないこと、9年たってもその想いは変わらない。今、コロナの影響でデマに戸惑っていることもある。しかし、日本の絆なら乗り越えられる。みなさん、がんばりましょう!!
私の学校では3月4日から新型コロナウイルスの影響で臨時休校になりました。つまり今日で臨時休校になって、1週間が経ったことになります。休校になって、2日目までは「やった〜学校休みだー!」と喜んでいたけど、日が経つにつれて、何もしないと親の目は厳しくなるし、どこにも遊びに行けないし、毎日のルーティーンが同じになってくるし、チョットずつ臨時休校がストレスになってきました。でも、これらを超えるほど〝暇すぎること〟が勝ちすぎて、ホントにホントに暇なんです。とーやま校長、この暇は、どーしたらいいですか?
東日本大震災から9年
私は当時小学2年生でした。
テレビで映像を見ていただけでしたが初めて見る映像に驚きと恐怖を感じたのを覚えています。
この出来事は絶対に忘れてはいけないことだと思います。
いつ自分の身に起こるから分からないのでこの震災を教訓に備えをしっかりしていきたいです。
先月海外の同世代の方にお会いする機会がありました。僕が福島出身だということを伝えると
「原発の?」と嫌そうな顔で言われてしまいました。海外の方は福島と聞くとその印象しかないそうです。
後で知りましたが海外の映画でも、福島が「汚染された土地」として登場することが多くて、僕がたまたま見た映画でも差別的に表現されていました。
風評被害は根強いし、それを考えるとまだ震災って終わっていないんなだなと感じます。
実際まだ原発は廃炉が手詰まりだし問題だらけだけど、差別されるのは悲しいな…
モヤモヤしてます。とーやま校長、話を聞いてくれませんか。
あのとき、私は保育園の年長でした。
急にストーブがとまって、ホールに集められて、お母さんが迎えに来て…
何だか他人事みたいで、周りに流されるままの当時の自分でしたが、今思うとすごい環境にいたんだなって思います。
秋田県は被害も少なかったのですが、同じ東北の太平洋側ではたくさんの人が亡くなっていて、本当に恐ろしいです。
災害はいつ起こるか分からないからこそ、普段の備えが大切なんだと思いました。
同じ東北民だからこそ、今の自分に何ができるか、考えたいと思います。
あの日、私はそろばん教室にいて、経験したことのない長い揺れと停電で教室はちょっとしたパニックでした。
そこから電気が復旧するまでは他の地域のこともわからなくて、でもただごとじゃないな、って思っていたのは覚えてます。
数日後、ニュースで津波の映像を見てもなんか現実味がなくて正直あんまり興味がもてなかったです。
数年後、ユーチューブである動画をみました。それは、逃げようとする車が次から次へと津波に飲み込まれていく映像です。この映像をみて頭をぶん殴られたような衝撃をうけました。つい数秒前まで動いていた車が一気に波に飲まれて見えなくなっていく。
自分は命を救えるような人になりたい、漠然としてだけど、この震災で一つの目標ができました。