10年前の3月11日は仕事中で1分程の横揺れがありました
自分が揺れてるだけと思ったら地震だったと気づき、TVでみた映像は今でも衝撃的でした
しばらく仕事が休みになったり不安だったけど、14日にSOLが出来るだけ普段通りに話しながら被災地の方々の書き込みでライフラインや無事と伝える声に励まされました
この10年で宮城や福島にいって海沿いのホテルで波音をききながら露天風呂に入ったり、仙台の花火大会や水族館に癒されました
牛タンやカキなどの海鮮が美味しかったり、東北出身の人達とのつながりができた10年でもありました
千年希望の丘では津波到達が10m以上であることや元々家があったと思うと苦しくなりました
やましげさんの一人舞台でみた煙突の近くまで波がきてた映像から自然の恐ろしさや逃げ方等考えさせられました
10年前に起きた東日本大震災。全く覚えていません。けどYouTubeにある東日本大震災の瞬間の動画や津波の動画を見て残酷なことを知りました。ほんとに怖い思いをした人がたくさんいたのだなと。亡くなってしまった方、家族を失った方一緒に頑張っていきましょう!ここに追悼の意を表します。
坂田校長、小森教頭、職員の皆さんへ
今日、ぜひ流して欲しい曲があります。
今日の18時に公開された、ほーみーずの「もういちど」です。ほーみーずは、宮城在住の2人組YouTuberです。小学生で体験した震災の記憶を、風化させないために作った曲です、。
今、みんなに届けたい歌を、必ず届けてくれます。まだMVが公開されたばっかりですが、沢山の人に聴いて欲しいです。
今日昼休みに3年生の先輩方が明日の卒業式の式歌練習をしていました。先輩方は大地讃領の歌を歌います。その練習が終わり「おわりかー」と思っていたのですがなぜか急にHappy birthday to you!と歌いはじめました。一瞬驚きましたが後ろから3年生の先生が出てきて前で祝ってもらってました。あ!Y先生の誕生日か!となり3年生と1年生で大合唱!拍手も大きく響きました。こんなたくさんの生徒に祝ってもらうのはほんとに幸せですよね。
テスト終わったああああああ
今から録音したSOL聴いて、
リアタイでもSOL聴いて、
沢山書き込みするぞ〜!
ほんとにこんな日にこんなことを言うのは間違ってると思いますが、13日誕生日なので校長教頭!!お誕生日おめでとうて言って欲しいです!!!お願いしますもう明日から車校頑張るので!!
誕生日プレゼントください!!!
あと教頭ライブお疲れ様でした!!
私にできることはYahooで3.11と検索をして10円を寄付する事です。
少しでも力になれたらなと。
今日テレビで津波の恐ろしさを改めて知ることが出来ました。もっと危機感を持ちながら過ごしたいなと思いました。
私はこの日を一生忘れません!!!
久しぶりに掲示板に帰ってきました。
10年前、私は小4でした。
私は東京住みなので揺れはしましたが周りに怪我してる人などはいませんでした。
今でもその光景は脳裏に焼き付いています。
ここからは去年も書いた内容ですが自分のこの気持ちを忘れないようにまた書きます。
私はおととしの9月、好きなYouTuberのイベントに参加するために初めて仙台に行きました。
イベントの会場だった仙台GIGSの最寄り駅である荒井駅には「せんだい3.11メモリアル交流館」という場所があります。
事前に調べていた時に見つけてせっかくなのだから行こうと思っていました。
しかし、その入口まで行った時なぜか怖さが出てきました。
私が体験したものに比べたら何倍も怖くて苦しい思いをしてきた人達や街の様子を、私は見れるのだろうか。
そう思うと怖さが勝ってしまい、結局そこには入れませんでした。
でも、今さらですけどちゃんとそういうことに向き合うべきだったと思うんです。
今はこの震災を体感した人が大半ですが、減っていく一方です。
だからちゃんと向き合って、見つめて、理解して、伝える。その事が大切なはずなのに避けてしまった私は今でも後悔しています。
なかなか今は(コロナもあって)東北に行くことは出来ませんが、またいつか行って、今度こそはちゃんと向き合いたいと思います。美味しいものも沢山あるから食べに行きたいですしね。
10年、私はとても早かったです。
ニュースで「区切りでも節目でもない」と言っていてほんとにそうだと思います。区切りだからもう終わり、というわけではないですから。
今は大学2年生になりましたが、その事だって当たり前ではない。そう胸に刻んでこれからも生きていこうと思います。
最後に、この震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。
今から10年前、私は小学2年生。あの日のことは、今でもよく覚えています。
震度7の強い揺れが始まった時、2歳の妹と手を握りながら、机の下に隠れました。お母さんは、生後1ヶ月の弟を抱き抱え、必死で守っていました。私の地域は幸い、津波の被害はありませんでしたが、電気が止まってしまい、赤ちゃんが風邪を引かないようにすることが、1番でした。私は長女ですが、まだ小学生だったので、分からないことだらけでした。電気が復活し、テレビで見た光景は、とても悲惨なものでした。現実を受け止められなかったです。宮城の海岸に住んでる祖父母の家に連絡をしたものの、なかなか連絡が取れず、1週間たってようやく繋がりました。地震の影響で電車が止まってしまい、家に帰れなくなったおじいちゃんは、線路を辿り、歩いて家に帰ったそうです。一刻も早く、家に帰りたい気持ちが強かったのです。
「あの日のことを忘れてはいけない。」