差別ってなんで無くならないんだろ…
そう考えた時にいつか誰かが言ってた言葉が思い浮かんだ。
「ああはなりたくない、ああならないために頑張らなきゃ、八割の人間がそう思えるための一割の犠牲が時としてその一割の人間が努力する以上の価値を産む」
そんなこと許されるのだろうか…
でもちょっとだけそうなのかもしれないとも思ってしまう。
テストも誰かに勝ちたいって思ってしまう
でもそれって1歩間違えたら
あの人にはせめて勝ちたいっていう思いなわけで
それはあの人はどうせバカだからっていう差別になる
多分競走と差別は紙一重だ
でも競走はお互いを認め合うためにとても大切なプロセスだから無くそうなんて言えない…
じゃあ差別を無くすってなんだろう…
今日の授業は差別で辛い人たちに話を聞いていくわけですが、特に学校で差別を受けている人はどのように思っているんだろう。
僕は2年前受験に受かって、みんなと違う中学校に入学しましたが、現在進行形で国語の先生が「受験に受かったんだから」とよく言っていきます。そういえば塾の先生もよく言います。これって受かったからと言って何でもできるわけないのにできないと悔しいです。
差別って人間の弱い部分が起こすことだよなあ。。人よりも劣っていないことを確かめたくて。人の上に立ちたくて。でも、大っきい宇宙からしたらその差ゼロなのに。優劣ってくだらなすぎるけど、自分も潜在的にみんなも思ってしまうんだろうな。。
差別がないこと。
と、今日の社会公民で習いました。差別は平等権の侵害ってことですよね。
今日の学校やっと終わった!7時間授業キツすぎました。
学校行くの嫌だったけど週末を楽しみに頑張れてます!
よし!明日も頑張ろう!
今日、失態…
午後からの学校を遅刻w
雨強いし、道混んでるしw
文化祭準備の日でしたががっつりとられましたw
にしてもね、金で女子と仲良くなってる人がいましたよ。金の切れ目は縁の切れ目なので気をつけてもらいたい。でも今の世の中、金が無いと機微意のは事実。辛いね…
さて、今日のテーマ、差別。
よく類義語で区別とか言われてごっちゃになってるんだけど、その境界線ってなんだろうね?
区別は必要か否か、うーん…
色々ありましたね
見た目の事で言われたりもしました
一時期太っていた時期とかに思春期だからニキビが頻繁に出たりとかもあって
清潔にしてるのに 周りから汚いと思われたのか菌扱いを受けたりしていました わざと避けられたり 触った時に手で払ったり すれ違った時にわざとにむせられたり
先生にも言って解決したはずだけど わからないようにされる時も多々あって
汚いなどの発言を聞こえると 自分に言ってるのではって思ってしまって ただただ傷ついたりもしていました
病院行って必死にニキビ治したり いつも以上にお風呂になんかいも入ったりもしてました
全てにおいて自分のコンプレックスで 何とかしようとしても 同じで 消えたいって何度思ったか分かりません
高校時代、部活差別がありました。
先生が「運動部は頑張ってるのに文化部は頑張ってない(吹奏楽は別)」みたいなことを授業の時間に言っていてとても悔しかったのを覚えています。
また、私は軽音部だったのですが、部活になる条件をクリアしていて、成績もあげていたのに、「軽音だからどうせ不良しかいない」という先生の間違った知識だけが理由で同好会のままでした。これも今考えれば部活差別だったなと感じます。
運動部だから、文化部だから、と区切られるのは違うと思うし、イメージだけで決めるのも違うと思います。部活は何をやってるかで判断されるよりも何を学んだかの方が大事だと思います。
運動部も文化部も(もちろん帰宅部でも)、それぞれプラットフォームが違うだけで、経験から何かを得ることの出来る素晴らしい学び舎だと思います。だから、部活差別なんて絶対にいらないです!
この考えを当時の先生に伝えられればなぁ…。
自分の体は女です。でも、自分自身では、性別が無い、無性だと思っています。それでも、周りからみたら自分は女です。「女なんだから」スカート履いてオシャレしろよ、とか「女なんだから」一人称私なのが当たり前だろ、と色々な場面で「女なんだから」という言葉を使われてきました。学校の先生の中には、「女だから」って差別してくる先生もいます。自分は女じゃないのに。そんな差別を受けるのは、嫌です。