手を精一杯伸ばせば君に届くような気がして
ただひとりいつもの場所で願っていた
びくともしない君の心を揺らしたくて
恋の気持ちを知ってほしくて
募った想いがどれ程僕を苦しめたことか
君に届けたい、その一心で。
僕がどれだけ手をさしのべたって
君の気持ちは揺らぎすらしない
その現実を変えるために今日も祈り続けるよ
あぁ、
恋できない
したいとも思わん
恋愛の話も、共感すらできない、
恋のうたも耳にはいらない、
そんな僕は、彼女いない歴16ねん。
こじらせすぎて。
座禅、極めてしまった。
「賢さとは、なんなのでしょう」
納豆の精が言った。
「さっき出たが、脳の使い方によってそれは決定される。現代に生きるわたしたちが考える賢さとは、対人関係スキルを含めた総合的情報処理能力の高さを指す。つまり、メタ認知能力の高さだ。メタ認知とは、認知を認知することだ。また、認知しているということを認知すること。自己客観化能力と言いかえてもいい。言うまでもないが、なかなかこれが難しいのだ。人と議論してヒートアップしているときなどは冷静さを失い瞬時に自己客観視ができなくなったりする」
「どうしたら脳を発達させることができるのでしょう」
「生まれ持っての才能もある。発達のプロセスにおいてある程度注意力散漫でないといけない。脳の性能が低い人間は物理的な視野がせまい。物理的な視野のせまい人間は社会的な視野もせまい。こういう人はメタ認知能力を発達させることはできない」
「……なんだか、よく、わかりません」
「わかるかわからないかよりわかろうとすることが大事だ」
やはり物語が始まらなかったほうがよかった。
君を愛して、君を愛して、その先はどうなるんだろう?
手を繋ぐかな。ハグをするかな。キスをするかな。
愛の伝え方を考えてる。
愛の伝え方を考えてる。
I think you are cutest girl
なんだかしっくりこなくて。
恋は病的に。標的に照準を絞るが、
いつも空回る。歯車が会わないまま。
枕元のギター爪弾いて、君に届けられれば…なんてね、なんてね、全部デタラメ
デタラメフォーティーン
この思いが、この気持ちが、愛や恋なんていうものだとして。
きっと気持ちは平行線で、交われないのだろう。
恋の終わりを考えてる。
エンディングの演出を決めてる。
goodbye girl,I was love you
どうも終われそうになくて。
恋の歌なんかに身を捩って、「バカだなぁ僕は」
いつも諦める。歯車が錆び付いてしまう。
枕元のギター掴むよりも、君と手を繋ぎたい。なんてね、なんてね、大体デタラメ
デタラメフォーティーン
「僕らの頭の中は世界のどんな機械よりも複雑で尚且つ精密、そして怪奇で予測不能であるのだ。と君が言ったのを聞いて僕の頭の中でシナプスが走り出した。そしてまた僕の頭の中の精密機械の仕組みが、しっちゃかめっちゃかどんでん返しでおかしくなっちゃいそう。つまるところ人間の脳なんて最後までわからない。そう、たとえお偉い学者さんだとしてもね、めんどくさくなったら「気が狂った」なんてデタラメで済ませるじゃんか。」
なんてデタラメを吐いた。
デタラメで煙に巻いた。
安全性もないデタラメはinside head
恋は病的に。標的に照準を絞るが、
いつも空回る。歯車が会わないまま。
枕元のギター爪弾いて、君に届けられれば…なんてね、なんてね。
恋の歌なんかに身を捩って、「バカだなぁ僕は」
いつも諦める。歯車が錆び付いてしまう。
枕元のギター掴むよりも、君と手を繋ぎたい。なんてね、なんてね、大体デタラメ
デタラメフォーティーン
全部デタラメフォーティーン
低気圧厚雲なにより心が重たいあの朝に
懐かし駄菓子のような春風の爆発を君が
届けてくれた日を、つまり僕の誕生日を
君は 覚えてないから教えて、だなんて。
最近マイナスだな こんな私やだな
この風と一緒にこの気持ちもどっか行けばいいのに
何を手に入れたかより
何を失ったかの方がより
あなたをかたちづくるよ
産まれたその瞬間だけ 完璧でいられる生命体
後は全部余分なものだろ
でも 完璧な人間なんて 少しも人間らしくなくて
傷だらけのこの姿こそが僕だ
多分
あなたに僕は必要じゃないし
僕にもあなたは必要じゃないのだ
だから奇跡みたいなんだろ
それ意味あんのって言われたって
いちいち意味がなきゃ生きられないような奴らに
僕らを止められる訳ないって
夕立の中 駆け出した
魔法みたいな こがね色の瞬間
もう二度と会えないとしても
やがては忘れてしまうとしても
あなたがあなたらしくてよかった
細胞
夜明け
宇宙
懐かしい歌
落下するばかりの生
花はあなたに捧げよう
もう二度と会えないし
やがては忘れてしまうよ
だから、今、
あなたの痛みを僕に全部くれ
現代人は賢くなったのだろうか。
高性能の脳を作るには動物性のたんぱく質が必要だというから栄養状態の悪かった時代よりはよくなってはいるのだろう。もちろん脳が成長している感受性期に摂取していなければならないから子ども時代低栄養だった世代は大したことはないのかもしれない。
とはいえ栄養状態が悪くともそこは遺伝子や胎内環境のいたずらで天才脳が出現することはしばしば。飢餓地帯でも先進国の飽食世代より賢い人はいる。むかしの農民にも現代人より賢い人はいたはずだ。ただ、脳の使い方は違っていただろう。教育に侵されていないリソース➖知識の伝播はあったわけだが➖を竹編細工や山歩きをする際のナビゲーション能力に使い、短い一生を終える。忘れてはならないのは寿命である。長生きすれば、知識も経験蓄積されてゆく。するとやはり現代人のほうが賢いのか。
さて、ここから物語が始まる。と言って始まらなかったらおもしろいなあと思ったがそんなことはないか。
次回に続くかもしれない。