人間が生きる限り、終わりは必ずやってくる。
生きるってことは、死ぬってこと。
でも、その二つは=ではつながらない。
生から死への一方通行。
キリスト教では、死は永遠の生の始まり。
ってことは、キリスト教徒には、不老不死を望む人なんていないんだろうね。
だって、不老不死になるってことは、永遠に生きられなくなるってことだから。
あれ、なんか矛盾してるな…
永遠ってことは、時間がいくらでもあるってこと。
一見楽しそうだけど、実際は退屈で仕方がないんだろうね。
そんなら、時間制限がある方が、絶対楽しい。
生きること=楽しい
って思えたら、毎日がもっと良くなる気がするな。
壁なんて乗り越えろって誰かが言った
でも乗り越えられないからここで立ちすくんでんだ
周りにもいるはずの同じように立ちすくんでる人が
いとも簡単に見えたらどれだけ楽なんだろう
僕はなんでここいる
何を目指して進んでる
あの日生みだした夢へのコンパスは
頑固に壁の向こうを指し続ける
夢は壁の向こうだって言いたげに
Ah もうここで立ってるのも飽きちゃったな
いっそのこと目の前のコイツをぶっ壊してやろうかな
ありきたりな考えかもしれないなけどさ
あたってくじけたほうがかっこいいじゃん
どうせこの先進んだところで
コイツよりでっかいやつが待ち受けてんだろ?
登るのはつかれるから今のうちに砕けとこうぜ
いつだって再生すんのは可能だからさ
もしもあのとき
となりに座っていなければ
もしもあのとき
同じクラスじゃなかったら
もしもあのとき
この家に住むと決めなかったら
もしもあのとき
私が生まれてなかったら
もしもあのとき
パパとママが恋に落ちなければ
一瞬の偶然の重なりで
貴方に出逢えたということ。
キセキと呼ばずしてなんと、
私は忘れていませんでしたか?
全ての現象は光であること
私は忘れていませんでしたか?
世界が愛であふれていること
私は忘れていませんでしたか?
一瞬が永遠を作ること
空の青さに手を伸ばし
陽の光に目を細め
風の流れに思いを馳せる。
全て
大好きな貴方が教えてくれたこと。
トモダチが100人いること
大切な人が1人いること
嫌われないこと
愛されること
気付くこと
気付かないこと
今さら
どっちが良かったのかなんてわからないし
きっとわかるべきじゃない
だけど
嘘でも優越感を持たないと
生きていけないときだってある
思春期を過ぎると一部の子らは冷めた目を持つようになる。悪いことのように感じられるが、目の前で起きていること、いま起きていることを冷静にとらえることができるようになるためには冷めた目を育てることが必要である。冷めた目による分析力がないと、いま生じている状況が、自分を脅かすものであるのかどうなのか区別することができなくなってしまい、パニックに陥り、権威のある人間の言うことだけをきくようになってしまうか(権威のある人間の言うことが間違っている場合がしばしばであるにもかかわらず)、ただ闇雲に疑うかになってしまう。冷めた目を持つことができるのも、才能なのだろうが。
この度
「#新規ポエムジャンル開発研究会」
という企画をやろうと思います!
参加方法は簡単!
タグの一つ目に「#新規ポエムジャンル開発研究会」を入れてポエムを作成してください。
ただし、普段自分が書かないジャンル(系統、雰囲気??)のポエムを書きましょう!
タグの二つ目は、具体的にジャンル名をつけてください。
質問等はレスにて受け付けております!