秋というのは不思議な季節だ。温度や気候から言えば、春に近しい存在であるはずなのに、どことなくしっとりと、そして落ち着いた雰囲気を感じる。さしずめ、春は新築の家、秋は年季の入ったログハウスのようなものだろうか。
時間の感じ方も異なるだろう。少なくとも、時間の流れという面から言えば、その速度を実感するのは秋だと、自分は少し思う。冬は忙しさということから、時間の流れというより、時間の消費を感じることが多いかもしれない。このゆったりと落ち着いた時間に身を任せるこの時期こそ、時間の流れというのを認識するのだろう。
そんな折、今日のように雨が降る。夏の荒々しさからは一転して、しとしとと降る秋雨。まさに夏とは真逆の一雨ごとに寒くなっていく、そんな雨だ。まさに、時間の流れを体現しているかのような雨である。
ふと、人の時間というものに思いをはせる。人にとって時間という事物は命と同義だろう。お金よりも時間は重い。今はそうは思えないかもしれないが、単にそう思うのが早いか遅いのかの差でしかない。だが、そんな時間であっても、人にはその時間の流れを楽しむということがある。その行為は一見すると時間の無駄遣い、命の無駄遣いにも思える。だが、時間の流れを肌で感じ、その流れを意識することこそが、人間の時間というのものの濃密さを作るのではないか、自分はそう思う。時間は平等だ。誰もが1日は24時間しか持てない。しかし、その時間を単に消費するということだけでなく、その時間をより濃密にすることで、間接的にその時間を延ばすことはできる。錯覚かもしれないが。
そんなことを考えつつ、秋の程よい長さの日は暮れていく。
毛布を引っ張り出したり
マフラーを引っ張り出したり。
もう冬が近いのかな。
触れた手が少し冷たかったら
その手を温めたい。
ぼくの手が冷えているときは
君の手で温めてほしい。
ぎゅっとした温もりに
安心感を感じて
幸せだなんて柄にもなく思ったり。
君といると温かい毛布にくるまっているように笑顔になってしまうんだ。
自販機の水で割ったような熱いココアを
飲みながら。
僕はやっぱり君が好きだななんて思ったり。
冷えた夜風。
左手で星を結び、
右手にビール。
嫌な思いをぐるぐると
流し去ってしまう苦味が
今日は役に立たない。
誰かを救いたいなんて
たいそうなものではない。
誰かを笑わせてあげたいなんて
自己満に浸りたいわけではない。
ただときに、
なにも変えられなかった
そんな自分の無力さが
そんな言葉の軽さが
無性に腹が立つだけだ。
背中に積もる缶の数だけ
僕は世界を
君を
壊したくなるよ。