名前も顔も声も知らない
一番に応援してくれた文字上の人
なんにも知らない人から
届いた言葉が嬉しい
目の前の友達よりも
信頼できる 相談できる
いつか会えたらいいな
ありがとうを伝えたい
私は君の言葉でこれからも進んでいけるよ
自分は人より実力がない。
だから、人より頑張る。
そうしなきゃ、自分のことを褒めてあげられないから。
「頑張っている」ということをあまり人にアピールしない。
そうしなきゃ、努力がどこか薄っぺらいものになってしまうから。
結局、私は努力家ではなくただプライドが高いだけなのかも。
努力と自尊心とはなんとも紙一重なものですね。
人間だけなのかな?動物達や他の生物もあると思うもの。俺たちは感情に動かさられて生きている。例えば不満があればその人の愚痴が言いたくなったり、楽しい時はテンションが上がったりする。感情はあるほうがいいけど支配されるのは違う、感情で物事を決めてはいけないと思う。
例えば怒り狂って人を殺したり、恐れで人のせいにしたり、わからないと投げやりにしてなにもやらないとか、感情はやっちゃいけないことなのは分かっていてもやってしまうかもしれないもの。
だから感情に任せるのではなく、自分の冷静さを保っていることが大切だと思う。
何故この文を書いたかというと感情に支配されないため、文字にすると落ち着くし状況を判断できるから、それに趣味もいいよね、みんなも感情をコントロールしよーう!
「実はね、めぐちゃん」
急にみゆきの声が小さくなったので、思わず唐揚げを持つ箸が止まる。
「何」「花火大会はめぐちゃんと行くって言ったら、哲くん、次の土曜日遊びに行こうって」
「次の土曜?」聞くと、うん、と頷く。「返事したの?」「えっと、、」
ごまかすように口にものを入れ続けるみゆき。ってあれ、そのたまごやき。
「みゆき食べてるのわたしのお弁当だよ」「えっ!」なんて動揺っぷり。「うわああああごめん!」かわいい。
「OKしたの?」「うん、、」
なんだって!
今度はわたしがひたすらお弁当を食べ続けなければならなくなった。「めぐちゃんそれわたしのお弁当だよ」「嘘」「わざとでしょう」「違うって」
いつもみたいに笑いあってから、少しの沈黙が流れる。
「めぐちゃんどうかしたの」どき。
言おうか言うまいか迷ってたけど。
「次の土曜までなんだ、『ときめいてZUSHIO展』」「え」「みゆき誘おうと思ってたけど、」「行く!」みゆきはぱっと前に乗り出して、きらきらの瞳。箸をつかんだままのわたしの手を両手でつつんだ。
「いいの、哲くんは」「うん!一緒にいこうね、いつもの神社のとこで待ち合わせする?」さくさくと予定を決めていくみゆき。
どうか決断のきっかけが、ZUSHIOじゃなくてわたしでありますように。