「目黒河」
廊下で名前を呼ばれた。あ、噂の哲くん。
「何」「ちょっといいかな」
哲くんの身長はわたしと同じくらいだった。みゆきの話によるとバレー部のレギュラーだという。みゆきはこのひとのどこが良いのだろう。
「あのさ、目黒河は知ってると思うけど、俺、みゆきのこと好きで、いろいろ誘ってるんだけど、断られ続けてて」「はあ」知り合って数十日で「みゆき」と呼ぶなんていい度胸だ。
「なんでだと思う?花火大会もおまえと行くって言ってるし」「うん」「目黒河、あいつのすきなものとかしらない?」そんな大事なこと、教えるはずがない。
「自分でききなよ」「そんな冷たいこというなよ、な?」「いやだ」「なんでもいいからさ、教えてよ」「……めぐちゃん?」みゆきだ。え、なんでそんな顔してるの。
「めぐちゃんが、哲くんのことすきだったの?」「は?」「だからわたしが哲くんと遊びに行くの妨害したの」妨害だと、思っていたの。
「みゆき、」泣いてる。待って、泣きたいのはこっちだ。
「わたし、花火大会、哲くんと行くから!」走り去っていくみゆき。
あれから『ときめいてZUSHIO展』へ行って、遠くの映画館に近くの商店街、みゆきの家でのテスト勉強会(という名の小さなお茶会)、わたしの家でのテスト見直し会(という名の小さなお茶会)……全部全部みゆきが、哲くんが誘う予定よりわたしといたいって選んでくれてるものだと思っていたのに。
「何があったんだよ」と口の端を上げていう哲くんとやらに返事をする気力も残っていない。嫌われてしまったんだ。
しんどい
つらい
苦しい
どうして
私だけが
しんどい
もう
だめ
やり直したい
離れないで もう少し
ゆっくり 歩こう
背の高い 君の歩幅だって
好きなんだけどね
ムーンリバーは焦っても渡れない
ゆっくり踏みしめないとね
午後になったら クラシック・ギター
夜になったら レコードで
いつも音楽と 君のことだけ
それだけある日々に苛まれもせずに
薄いレコードから スローバラード
夜露が窓を包んだら
ワインを飲むの 私だけ
あなたはいつも 見てるだけ