深い深いうみ。
暗い、冷たい
…寒い。
ぐしゃぐしゃになっても涙は堪えてたあの日。
ふいに聴こえた誰かの歌。
「いま君のいる世界が辛くて泣きそうでも」
ぐいっと引っ張られたように突然の新しい世界へ
けれど
おやすみのハグのように温かいその世界で
「それさえも「プレゼント」だったと笑える日が
必ず来る」
私はいま、笑っている。
「ごちそーさまでした」
未だ飲み込み切れない霊体組織に口をもぐもぐさせながら手を合わせ、月は化け物に向き直った。
「鬼、ご苦労」
床に倒れて動かなくなった鬼の背中を踏みつけつつ、化け物に近付いて行く。彼女が通り過ぎるのと同時に、鬼の身体は彼女の足元に吸い込まれるように消えていった。
「さて、待たせたなぁ」
化け物が咆哮をあげ、両腕を彼女に向けて伸ばしたが、月の目にも留まらぬ蹴りがそれを弾き返し、衝撃に耐えきれなかったのか片腕は2つ目の肘関節から捩じ切れ落ちた。
「どした? この程度か? ほらほら頑張れ頑張れ」
にやつきながら化け物を睨む月の両目の上には、いつの間にか新たに1対、金の虹彩と縦長の瞳孔を具えた眼が現れている。
化け物が残った片腕で薙ぐように攻撃を放つ。遠心力によって化け物自身の能力以上の威力を持っていたそれを、月は片手で軽々受け止め、膝を使って蹴り折り引きちぎった。
「ほらほら、もうお手てが無くなっちゃったなァー?」
ちぎった腕を引きずりながら更に近付く。化け物が短く吠えて噛みつこうとしてきたが、月は一度腕を放り捨ててから片手で受け止め、下顎を鬼化した脚で踏みつけ、押さえた片腕で上顎を持ち上げ、動きを完全に封じてしまった。
「あーらら、もう動けなァーい。……さて」
鬼の牙の並ぶ口を耳まで裂けさせたにたにた笑いを化け物に向け、空いた片腕を虚空に向けて突き出す。
「戟、来ぃ」
無から突然現れた矛状の武器を掴み、開かれたままの化け物の口の中に突き刺し、その頭部を貫通させる。無数の眼球が一瞬ぎょろぎょろと動いたが、すぐにそれらは動きを止め、薄灰色に濁り、月が戟を消すと支えを失った死骸は壁から剥がれ、畳を数枚吹き飛ばして床上に斃れた。
「よしよし、鮮度は大事だし、さっさとイタダキマス」
露わになった床板の上に座り込み、化け物の残骸をかき集め、月はゆっくりと食事を始めた。
私はあなた達に叩かれた。
たしかに、いやもちろん私が悪いところもあった。
周りを見れていなかった。
自惚れるなら、私は影響力があった。
私自身が思うよりも。
貴方達、一人一人よりも。
ただ、そんなにもあの発言は、
私の過去も現在も未来も、私の愛する人さえも
否定されるほどのことだったのでしょうか。
誰かを傷つけてしまっていたでしょうか。
気付けていないのは、私でしょうか?
それとも、貴方でしょうか?
その後、思い付いたように「そういえば坊や、時間は大丈夫かな」と尋ねた。随分高くにある、公園の時計を見上げるとそれは九時を指そうとしていた。
「あ、そろそろおばさんち行かないと」
「そうかい、じゃあ俺も帰るかな」
「うん」
ベンチから飛び降りた少年は間もなく走り出し、公園を出ていった。その時に後ろを向いて「じゃあな」と手を振った。穏やかにゆっくり男も手を振り、「後ろ向いてると危ないよ」と微笑みながら注意喚起した。
翌日、その日も少年はいつもの公園のベンチに座って空を眺めていた。この日は快晴で、空全体が朝日に照らされて白く光っていた。風は穏やかで、少し暑い位だった。
少年は昨日出会った男を気に入っていた。
話が特別面白かった訳ではないが、自分を『可愛がっている様に見える』だけの大人ではないことが嬉しかった。自分の様に静かだと、子供の相手をしたい大人にあまり好かれないことは既に知っていた。しかし感情が表に出にくい。
こんな幼児が人の心の内などを、所謂『察す』ということができるのかと思うだろうが、子供は案外と、人の胸中を見透かすのが得意だったりするのだ。全ては理解していなくとも雰囲気で分かる。
そんな自分に純粋に楽しそうに話しかけてくれたことが嬉しかった。
(おじさんまた来るかな)
そう思っていると、
「よっ」
白い天を写す瞳に望んでいた男の顔がいたずらっぽく笑った。少年も「よ」と返した。