街のネオンよりも
夜空いっぱいの星の方が
眩しいと気が付いたのはいつだったろう
香水の甘い香りよりも
お日さまをいっぱいにあびたお布団の方が
心地いいと気が付いたのはいつだったろう
誰かとの当たり障りのない話より
君との何気ないお喋りが
大切だと気が付いたのはいつだったろう
「俺はダチの死を知って十分後にはケロッとしていつもの業務に戻ったんだ。今だってあいつの死をどうとも思ってない。悲しくないし悔しくない。――だって、あいつのことはもう忘れちまったんだからな。
……あれからずっとそうだ。死んだダチは全員いなかったことにした。あいつらが仲間だったことは覚えてる。でも全然そんな実感がねえんだ例えるなら、『お前の生き別れの妹だ』って言われてブロンド美女の写真見せられるような感じだ。もうあいつらとの思い出は1つも思い出せねえ。姉貴が死んだときに何も思わなかったのは流石に自分でもビビったぜ。
今俺は、誰が死んだってなんとも思わねえ。現実を見ないことにしちまったからな」
そこまで一気に話すと、善の反応を待った。しかし実際より小さく弱々しく見えるその少年は少しも動こうとしない。ただ、部隊長の襟にある手には一切の力がなく、少し後ろに下がっただけで勝手に外れそうなほどになっていた。
いまだ説得に成功しない状況に部隊長は戸惑っていた。正直、自分で言っていながら説得になっているのかは甚だ疑問である。思いついたことを後先考えず連ねているからだ。
でも今はとにかく、善に分かってほしいことがある。その衝動に駆られて止まらないのだ。
「なあ善。お前は強いんだよ。現実と向き合って苦しんで、そうやって得た信念ってのは実力行使じゃどうにもならねえくらい強い。俺はもう本気で人を救うことはできない。心が死んじまったなんてのは言い過ぎだが、まあ、死に対する感情は専らなくなっちまったわけだ。そんな人間が人を救おうとしたところで、救える命も切り捨てちまうのがオチだ。だから、つまり、俺が言いてえのはな――」
部隊長は少し照れくさそうに言うのを躊躇ってから、思い切り良く言った。
「お前は俺なんかよりずっと、この仕事に必要なんだ」
それが今、善に1番言ってやりたいことだった。
「で、何でそんな触られるの嫌がるんだよ」
「ウーン、何かな、ゾワッとするんじゃよ、ゾワッと」
「ユーレイってそんなモン?」
「知らんがな。マァ、あの世のものとこの世のものが交わるってのは健全な状態じゃあないんじゃろ」
「ふうん」
俺は生返事をし、次の質問を投げかける。
「幽霊なのは分かったけど……あんたホントに甲斐田正秀?」
「何故疑う」
「だってあれだろ、甲斐田正秀って『赤と青、どっちが好き?』って訊いて、どう答えても死ぬっていう怪談だろ」
当然のように訊くと、甲斐田は軽く吹き出して馬鹿にするように笑った。
「んな訳なかろーもん。来る奴みんなに話しかけとるから、面白いように話に尾ビレつけてったら原型がなくなったんじゃろう」
「え、じゃあ酷い死に方をしたってのも?」
「酷い?」
そう繰り返すと、少しの間自分の顎に手をやって考え込む姿勢を取って静止した。「あー」とばつが悪そうに話を切り出そうとするが、やっぱり駄目だというふうに頭を掻いてまた黙る。
彼が個人的に話したくないというような態度ではない。どちらかというと、相手が良ければ話すけど、みたいな雰囲気だ。
何度かそれを繰り返して俺も耐えかね「何だよ」とこちらから仕掛けた。俺がなにか言わないと何となく、彼が霞になって逃げてしまうような気がしたのだ。
「話したくないのか?」
「んなこたーない、まー確かに、酷いって言えば酷かったかもしれんと思っただけじゃ」
「話す気ない?」
「お前がえがったら」
「俺は良いよ」
「そんなら話すが……戦争の話じゃぞ、よくある話」
「へえ。試しに話してみろよ」
俺が乗り気な様子を見せると、甲斐田は気不味そうに自分が死んだときのことを話し始めた。
「俺は知りもしない一般人のことなんかどうでもいい!俺がほんとに守りたかったのはっ、俺の大事な人達なのにっ」
善は目に涙をためて叫ぶ。今まで本当に思っていたことを。
人々を守るのに憧れたのではなかった。世界だなんてそんな大袈裟な話ではなかったのだ。ずっと、人々の安寧を守り『家族や友人を笑顔にできる』スパークラーに憧れていた。自分の周りの人が幸せに暮らす。それだけで良かった。
それなのに。
「駄目じゃないか!何もできないじゃないか!スパークラーなんてなった意味ない!」
善は膝立ちになって荒々しく部隊長の胸ぐらを掴んだ。部隊長はそれを拒まなかった。
「……スパークラーなんて……何もできないくせに……」
うなだれて呟いた言葉は、高く積もった雪のように重く冷たく響いた。
「なあ善。お前、ホントは思ってんだろ。何もできないのは自分だって」
部隊長の声はぶっきらぼうだが優しかった。彼の服を無造作に掴んだ手から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「でもな、そりゃ見当違いだ」
それから部隊長は善からなんの反応もないまま続ける。
「……俺の話をするが、俺は、人を守るその勇姿に憧れてスパークラーになった。あの頃はSTIの宣伝を本気にしてた。丁度、今のお前みたいにな。でもな、初めてダチが死んだ時、お前みたいにはならなかったんだよ」
善は俯いたまま「流石部隊長だよ、強いんだな」と震える声で皮肉を漏らした。強がらないと涙が溢れてくると分かっていた。
「誤解すんな善。俺は強かったんじゃねえ。人一倍弱い人間だったんだよ」
部隊長の言葉に善はゆっくりと顔を上げた。部隊長は苦しそうに表情を歪ませながら笑っていた。
「お前、信じとらんな」
「確かに、にわかには信じがたい。証拠はないのかよ」
「証拠ォ?ウーン……」
甲斐田は首を傾げる。こう言われて何も言えないとなると、何だか胡散臭く思えてきた。
やっぱり嘘か。
白けて踵を返しかけたたとき、
「仕方ないのう」溜息を吐いて無言で手招きした。やっぱり俺はこの子供が霊か否か気になって仕方がなかった。どことなく怪しいと思ったが自分の好奇心に抗えるほど、俺は大人ではなかった。
空き教室に入ると、甲斐田の方もこちらに歩み寄り、目の前までやってきた。
甲斐田は今、友達と雑談するとき程度の距離にいたものの、身体が透けて向こうの壁が見えるだとか、地面から浮いているだとか、そんな様子は見受けられない。だからまだ半信半疑だ。
「ちと手ェ触ってみぃ」
甲斐田は右手を差し出した。俺は少し躊躇しつつ、不愉快そうに(まだ何もしていないし何も言っていないのに、だ!)じっと目を閉じる少年の顔をチラチラ覗きながらその手に触れようとした。
触れられなかった。
代わりに、甲斐田は「うう……」と唸り、俺の左手は空を切った。
信じられない。嘘だ。
俺はもう一度甲斐田の手に触れようと試みるが、何度やっても何も感じない。それを5回程度繰り返したところで、触れられぬ手の持ち主は身震いをしてそれを引っ込めた。
「もー分かったじゃろーが!」
「あーうん」
「……面白がりおって……」
甲斐田は恨みがましく呟いて俺を一瞥した。気を悪くしたらしい。そっぽを向いてしまった。少し申し訳ない。
「いや、それはごめん。あんた、触られんのやなんだ」
「まあな」
「なんで?潔癖症なの?」
「別にそんなこたぁないが……お前、調子乗りすぎって言われるじゃろ」
「なんで知ってんだよ」
「……素直な男じゃのう」
「別に良いじゃんかよ」
……何か感心された。気に食わないな、さっき申し訳ないといったのは撤回しよう。
しかし機嫌を戻したようなので安心する。奴も奴で、素直で単純だ。