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先生さようなら

「何かあったら、相談室に来なさい。先生もまだ未熟だけど、きくことくらいはできるから」
 そう言って新任の女の先生はにっこり微笑んだ。
 愚痴をきいてあげる、悩みをきいてあげる、助けてあげる、なんていうのは支配欲求の歪んだ表出でしかない。もちろん助けを欲している人間はいるわけだから、需要と供給が上手く成り立っているわけだが。そんな傲慢さに気づかないのか自己欺瞞しているだけなのか、単なる馬鹿なのか、いずれにせよ、未熟な人間に言うことなどない。それときくことだけしかできなんて発言は時代錯誤もはなはだしい。どうせ抱えきれない問題を持ちかけられたらあなたも誰かに相談するのだろうし。まずは自分で手に負えなかったら誰かにタッチするよという合意をあらかじめとっておかないと、いざそうなったときに生徒は裏切られたと感じ、逆効果となってしまう。
「ありがとうございます。……先生、さよーなら」

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トカゲの木 3


 箱の中は真っ暗で、ぼんやりとした月の逆光で、トカゲの木は踊る骸骨のようにおどろおどろしく見えます。その上、生暖かい風が板の隙間から鋭く刺してくるのです。四方を囲まれた箱の中は、その子の体躯からして、膝立ちをしていても余裕はありますけれども、心持ち狭く窮屈でした。そして閉ざされ蒸し暑いのにも関わらず、背中に井戸水が差された悪寒がします。ジージーというセミの大合唱も阿鼻叫喚に聞こえる心地です。
 不安を無理やりに噛み殺したとき、阿鼻叫喚に異質な音が混ざりました。
 ズーッズーッと何か引きずるような音です。例えば、浜辺の波打ち際で毛織物を引きずっていると言ったら分かるでしょうか、ええ、分かりませんか。まあ、そういったまとわりつくような音です。
 その子は音の方を見やりました。ただ、箱の中にいるものですから、音源を認めることはできません。大きくなる音に耳を澄ますだけです。
 音が大きくなるにつれて、ぶつぶつと、何かひっきりなしに呟くのも聞こえてきました。音源は先のものと同様に思われます。しかし何を言っているのかは一向に分かりません。唸っているだけだとも、異国の言葉だとも思われます。
 その上不思議なのが、いつの間にやら、先ほどまでの目眩のするほどうるさい蝉の音が、一つも聞こえなくなっていたのです。それどころか、横笛のような風の音や、賑やかな草木の騒めく音も一切聞こえないのです。もしかしたら、あの子も緊張していたようですし、聴覚を一点に集中していましたから、相対的に静かに感じただけかもしれませんが、何か異様な空気が頬を撫ぜるのは確かな感覚でした。
 にわかに音が止みました。その子がおやどうしたことかと思った瞬間のことです。……視界が大きく削れたのです。驚きましたが、これは、その子の入った箱のすぐ外側に、触れようかというすぐ近くに、何か現れたため影って黒く見えているわけです。
 唐突に現れたそれは、何かボソボソ呟いています。……毎日毎日、律儀にトカゲの死骸を持ってくるその張本人です!この、呟いている言葉というのは、その子に聞いたところ、おおよそこんな感じです。
「わーしわ……たあ、あ、あ、たれそ……た、た……」
 これを息継ぎなしに、ずっと繰り返していたのです。