夜、人々が寝静まった頃。
とあるマンションの1ヶ所だけ明かりの点いた一室に、若い女が呆然と立っている。
彼女の目の前には、小柄でツノの生えた、ストリートファッションに身を包んだ金髪のコドモが立っていた。
「…」
女は何がなんだか分からない様子で黙り込んでいたが、不意に金髪のコドモが彼女に近付き抱きついた。
「⁈」
女は驚いて思わずコドモを突き飛ばそうとするが、コドモは満面の笑みで彼女の身に頬擦りする。
ちょ、ちょっとと女は抵抗し、バランスを崩してコドモ諸共後ろに倒れ込む。
そこでやっとコドモは擦り寄るのをやめ、女の顔を覗き込んだ。
「“マスター”」
女は目をぱちくりさせる。
「…何」
「“マスター”」
よく分からない言葉に女はポカンとして、コドモは不思議そうに尋ねた。
「キミは、ボクの“マスター”じゃないの⁇」
その言葉に女は少しの間黙っていたが、やがて顔を背けた。
「…別に、わたしはそういうのじゃないし」
女がそう答えると、コドモはそうなの?と首を傾げる。
女はうんと頷いた。
琥珀は林檎の首根っこを咥えたまま光の漏れる扉からじりじりと離れる。
「こんな時間に子供?」
人に見つかると捕獲される可能性があるのでできれば見つかりたくはないのだが、生憎この廊下は障害物がなかった。小さな兎の林檎ならいざ知らず、琥珀はかなり大きい大型犬だ。見つからないというのは無理がある。
「…?」
脱兎の如し。琥珀は逃げることを選んだ。長い廊下を大型犬は全力で駆け抜けた。
『こはく、もういいんじゃない?』
林檎がぱたぱたと身体を震わせるので、琥珀は林檎の首根っこを離した。林檎はとてとてと歩きまわり、壁を興味深そうに眺め始めた。
『どうした林檎?』
『これ、え!』
『ああ、絵?そうだな、絵画だな』
どうやらここは画廊であるらしい。
「報われない」ことがつらいと思った日。
「伸びない」ことへの焦りを感じた日。
「どうでもいい」と自棄になった日。
「まだ頑張れる」と踏みとどまった日。
「今日は無理だ」と自分を守った日。
「僕なんて」「私なんて」を封印した日。
「明日なんて」の先を言わなかった日。
「おはよう」が言えた日。
自分に すこし 優しくできた日。