私の性格は明るい。名は体を表しているようだ。
心開いた人たちでは明るい自分なんだ。
だが明るい自分には裏がある。
みな誰しも表の顔と裏の顔があるように当たり前のように
私も裏の自分が存在する。
裏の自分は、真逆な自分だ。
いつも明るくて元気で陽気な自分だから
意外って言われることが多いけど
裏の自分は、静かで陰気な自分。
それを心開いてる人たちの前では明るいでカバーしてる感じ。
(まあ学校では裏の自分の感じだけどね。)
私は、もともとの明るい性格を使って裏の自分を隠してるの。
だから心を開いてる人たちの前で隠してる裏の自分を見せるのが、
はずかしくて、見せたくなくて、
明るくなっちゃうの。
先生とかに見せなきゃいけなくなったときも
そんな感じになっちゃうの。バレちゃうときもあるけど
明るい自分の裏は真逆な世界だから。
包んで隠すように。
明るい自分は素だけど明るい自分で盾にすることもあるの。
だから、明るい自分の裏は深く暗い
絶対見せたくないけど、わかってほしい自分もいる。
ねえ明るい自分の裏、少しだけなら見せてもいいかな…??
今日はおじじの誕生日。
おじじは今老人ホームのベッドにいる。
いつ永い眠りに入るかわからない。
もしかしたら明日かもしれない。
もしかしたら来月かもしれない。
もしかしたら受験当日かもしれない。
だから私たち親族は考えた。プレゼントを。
私といとこと弟の3人のメッセージと写真付きの色紙を作った。
ほぼ私監修、いとこのちょっとの提案の
おじじへ孫3人のプレゼント。
それを渡しに面会に行った。
喜んでくれたっぽい。嬉しかった。
でもその時に思ったの。
徐々に当たり前がなくなっていくことを。
当たり前なんてないのは存じてるけど
やっぱり感じちゃうんだ当たり前を。
おじじとおばばとおじちゃんが住んでいた家、
今はおばばとおじちゃんだけ。
おじじがお米と野菜作っていた田んぼと畑も
今はない。
徐々に当たり前だと思っていたことが薄れていく。
失いそうになっていく。
寂しいな…
親戚一同全員集合ができなくなっちゃう。
怖いな…
今は懐かしい日々と思い出を思い出しているよ。
お母さんとおばちゃんの話を盗み聞きしてると
もう時間は短いようだ。
それがいつ来るのかわからない
徐々にわたしにとっての当たり前が消えていくんだ。
今この瞬間の日々で言葉を伝えないと。
おめでとう、ありがとう、また来るね。
そうじゃないと後悔するから。
口下手と不器用で言えないと思っちゃうかもだけど
言っとかないと永遠に話せなくなっちゃうから。
私は今、徐々に当たり前なんてないと日々感じてる。
おじじへ!!はっぴーばーすでー!!おめでとう!