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かけがえのない、2人の”心友"

最近、特別な友達との別れが相次いでいる。1人は、2年から一緒のクラスで、帰りも一緒に帰った友達。その子は、昨日大学からの合格通知が来て、進学のため千葉に移ることになった。2年間クラスが一緒だったこともあって、どんな時も常にそばにいて、話しててもためになる話とか、面白い話とかもして、一気に仲良くなった。もう会えないと思うと、究極に切なくなったし、親しく話すこともできなくなると思うと、悲しくなった。
2人目は、僕の好きな人。掲示板には幾度となく書き込んでるけど、2年の後半から話し始めて、今の今まで究極に仲良くしている。告白してから1年3ヶ月以上経ってる。話してても、笑いあえるし、楽しいし、時には不安や悩みとかを聞いてくれる最高の友達。あいにく、お互い浪人やけど、通う塾が違うから(近いけど)今まで以上に会える時間が減る。感謝は今日、デートの最後に伝えたけど、そんだけじゃ足りないくらい本当に感謝してる。それゆえに、会えないことを考えるのは、本当につらい。
小学校の卒業式の日、先生にこんな言葉をもらった。「新友に始まり、親友となり、真友を経て、心友となる。」この2人に会えなくなることは、本当に切ないし、寂しい。僕にはこの2人が、かけがえのない本当の”心友"なのかなーと感じた。

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3.11〜日々の生活のありがたさ〜

明日3月11日午後2時46分、あの日から5年が経つ。正直言ってしまうと、あの日のこと、僕の頭から徐々に消えつつある。今日、授業を聞いて、僕らと同じ年代の人たちは、どんなに時間が経とうともあの日の記憶を消せきれない苦しさ、被災地以外の地域の人たちの無責任な配慮が被災地の人たちに迷惑をかけていること、そして、日々の生活のありがたさを感じた。
あの日、東北には巨大な津波や原発事故に襲われた。未曾有の大災害と言われるくらいの甚大な被害を被った。そして、日々の生活を失った。でも、僕が住んでる三重ではなんも影響なかった。強いて言うなら、テレビに津波のことや被災地の状況がながれ、ニュース以外の番組が放映自粛になっていたくらい。今日の授業でやっぱり日々の生活は大切なものなんだと感じた。中学の仲間と部活をしたこと、高校の仲間と毎日受験勉強を励ましながらやってきたこと、好きな人と出会い、お互い笑い合いながら話してたこと、全部被災してないから当たり前になっていた。でも、これらのこと、被災直後はもちろん不可能だったことも、改めて感じた。
正直、僕1人で被災地をどうすることもできない。募金に協力したりすることしかできないと思ってる(それも大事なことだけど)。でも、被災した実際の僕らと同じ年代の人たちに「毎日の生活は当たり前じゃない」と聞いた今日の授業。ならば、毎日の生活に感謝しようと思った。仲間と話せること、帰れば親がいる、飯が作られている、浪人決めて、塾のお金を払ってくれること、全てに感謝すること。明日はこのことを考えて過ごそうと決めた。