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信じるということ

信じることってとても難しくて、時間も必要。
でもその信じていることを崩すのはとても簡単で一瞬。
中学の頃クラスでいじめがあった。どんどんエスカレートしていく。止めようものなら自分も巻き込まれる。そんなことは分かってたけど止めざるを得なかった。正義感でも何でもなく、一人の人間としてやめさせた。その時から標的は明らかに自分に変わった。当初いじめられてた子に『ごめんね』と言われた。違う。謝るのはいじめられてた側じゃないはずなのに。そう思ってただ『大丈夫』としか言えなかった。
その時から自分は信じることをやめた。友達も教師も親も自分自身も。
でも負けてたまるかという変な意地だけで学校に通い続けた。やられてもやり返さず、暴言を吐かれても右から左へ流した。
今考えると壮絶すぎる日々だった。
心の拠り所にしたのがSOLだった。
同じような目に合ってる人が居て、自分よりも強く生きようとしてた。だからこそ自分も強く在ろうと思えた。
あの時夜10時にラジオをつけなければこの文章を書くことも無かったんだろうなと思う。
何も信じなかった自分が確信してることは1つ。
自分が自分を信じてやらないでどうするんだと。
長文で失礼しました。
雪に耐えて梅花麗し
冬の寒さに耐えた必ず梅の花は美しく咲く。

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辛い、しんどい

私には苦手な友達がいます。

クラスが一つしかないので、幼稚園からずっと同じクラスの子です。
なぜか一緒に遊んで友達ごっこしてた時期もありました。
でも、本当はすごく怖いです。その子にぶつかってしまい、「ごめんね!、ごめんね!」と謝り続けたら、「きもい」と一言言ってどこかへ行ったこともありました。傍から見たらなんてことないかもしれないけれど、私には大ダメージでした。
向こうは覚えていないらしいですが、今でも私の心にずっと残り続けています。
これの他にも睨まれることはほぼずっと、幼稚園の頃にはトイレのドアを開けられたり。仲間外れ、無視、はあたりまえ。
死にたい、消えたい、9年間そう思いつづけてました。私は何もしていないのにそこまで追い込まれる意味がわからないです。もっと苦しんでいる人も居るのにこんな軽いことで苦しんでる自分も醜いです。先生に相談して話し合っても、「覚えていない、気のせい、私の目が目つき悪いように見えるだけ」と、謝ってもらった記憶がありません。
隣を通るだけで怖いし、怖くて顔も見れない。
私からしたらあの子のすべてがわざとに見えます。辛いです。
直接的なことは少ないですが、少しずつメンタルは削られ続けています。
仲良くなるつもりはありませんが、気にしてしまうので、気にしない方法はないでしょうか…。