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秋雨

 秋というのは不思議な季節だ。温度や気候から言えば、春に近しい存在であるはずなのに、どことなくしっとりと、そして落ち着いた雰囲気を感じる。さしずめ、春は新築の家、秋は年季の入ったログハウスのようなものだろうか。
 時間の感じ方も異なるだろう。少なくとも、時間の流れという面から言えば、その速度を実感するのは秋だと、自分は少し思う。冬は忙しさということから、時間の流れというより、時間の消費を感じることが多いかもしれない。このゆったりと落ち着いた時間に身を任せるこの時期こそ、時間の流れというのを認識するのだろう。
 そんな折、今日のように雨が降る。夏の荒々しさからは一転して、しとしとと降る秋雨。まさに夏とは真逆の一雨ごとに寒くなっていく、そんな雨だ。まさに、時間の流れを体現しているかのような雨である。
 ふと、人の時間というものに思いをはせる。人にとって時間という事物は命と同義だろう。お金よりも時間は重い。今はそうは思えないかもしれないが、単にそう思うのが早いか遅いのかの差でしかない。だが、そんな時間であっても、人にはその時間の流れを楽しむということがある。その行為は一見すると時間の無駄遣い、命の無駄遣いにも思える。だが、時間の流れを肌で感じ、その流れを意識することこそが、人間の時間というのものの濃密さを作るのではないか、自分はそう思う。時間は平等だ。誰もが1日は24時間しか持てない。しかし、その時間を単に消費するということだけでなく、その時間をより濃密にすることで、間接的にその時間を延ばすことはできる。錯覚かもしれないが。
 そんなことを考えつつ、秋の程よい長さの日は暮れていく。

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ソーセージの入ったトルティージャ

今日のお題にちなんで。

自分好みの料理がしたいと時折思う。
私は一昨日、それを思った。家には誰もいない。ならば、思い切って普段作らないようなものを作ろう、そう思った。
冷蔵庫を見ると、食材が少ない。使えそうなものは、卵、チルドルームにあったソーセージ、そしてじゃがいもと玉ねぎ。いくつかのアイデアが頭の中にポンと浮かび、消える。
そして結論を出す。
「トルティージャを作ろう!」
そうと決まれば、話は早い。
まず卵を4つボウルに割り入れ、塩と胡椒を入れ、また混ぜる。
じゃがいもと玉ねぎは薄切りに。食べ応えを出すためにじゃがいもは少し大きめ。ソーセージは3mm幅にカット。
フライパンに油を引いて、火をつける。油が熱に触れることでさらりとした頃合いを見て、じゃがいもと玉ねぎを投入。中火でしばらく炒める。炒めながら、塩を取り出したが、ここでミスに気がつく。単体での塩が足りない。
囲碁や将棋で悪手を放ってしまったかのような後悔がよぎるが、それもまた運命。諦めてあるだけの塩をフライパンに投入し、炒める。
ほんのりと焼き色がついたところで、ソーセージを投入。軽く炒める。じゃがいもに火が通ったようなので、大さじ3の水をフライパンに入れ、蓋をして蒸し焼きにする。
頃合いを見て、柔らかさを確認。また火を入れることを加味して、少し固めがいい。その固さであることを確かめ、先程の卵液に炒めたじゃがいも、玉ねぎ、ソーセージを投入。そしてその具材が入った卵液をしっかり混ぜて馴染ませる。
またフライパンに油をひき、具材入りの卵液を投入。蓋をして蒸し焼き。程よく縁が固まり、表面が乾いてきたと判断できたら、今回の山場、即ちオムレツの回転に移る。
フライパンに入り、かつ大きめの皿を取り出して、オムレツにかぶせる。1、2、3でひっくり返して、皿にオムレツを乗せる。乗せたものをそのまま、フライパンに入れてもう片面を焼く。
最後に少し火を強めて、焼き色をつけて完成!

味は及第点。よく具材が馴染むことで、各食材がいい味を出している。玉ねぎは非常に良かった。甘みがよく出て非常に美味しい。ただ惜しむらくは塩味が足りない。
しかし、卵4つは多かった。残った分は明日の朝食にしよう。そう思いながら、日曜日の夜は更けていった。

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SOL First Contact Anthology

それは月が美しい秋の夜のことだった。
1人の男子高校生は自宅で読書をしていた。時間は23:20。この時間は彼にとってゴールデンタイムだった。というのも、彼以外の家族が寝静まったこの時間ほど彼の趣味である読書に没頭できる時間はなかったからである。
彼は、耳にイヤホンをつけながら読書をしている。いつも23:30まで流れるラジオをBGMに彼は黙々と読書を続けていた。その夜の本は『ハリーポッターと死の秘宝』だった。ページを繰る手の近くには僅かに湯気が立った珈琲があった。程よく背伸びしたい年頃である中学生にとって、珈琲というのはある種の通過儀礼のようなものである。しかし、ごく普通の中学生がそうするように、彼も牛乳だけ入れて、苦味を減じたものを飲んでいた。砂糖を入れないのはある種の矜持であろうか。
しかし、そんな背伸びとは裏腹に読んでいるものはファンタジー小説という、何ともあべこべな組み合わせであった。
彼の聴いているラジオがエンディングの音楽を流し始めた。いつもなら、その音楽の始まりと同時に読書をやめるのだが、その日の彼はそうしなかった。
もう少し夜更かししよう、そう思い至ったのだった。本を閉じようとする手を止め、ラジオを見る。ふと、違う局のラジオを聴いてみたくなった彼はチューナーのダイヤルを少し回した。
周波数が80.0MHzにチューニングされ、電波をアンテナが受信する。その瞬間、彼は懐かしいものに包まれた。あたかも学校かのような騒がしさ。2人のパーソナリティがお互いを茶化しつつもリスナーにしっかりと寄り添う、そんな声が聞こえてきた。
彼にはその騒がしさがとても心地良かった。ある種のくすぐったさを感じるそのやり取りに、彼はふふっと笑った。その笑いは全く意図したものではなく、心の奥底にある楽しさという感情の励起によって生まれた自然なものだった。そして、そのような風に笑ったのがいつ以来だったかとふと思い返した。
その翌日、その楽しさをまた味わいたいがために、彼はまた夜更かしをした。
そのラジオ番組の名前がSchool of Lockだと彼が知るのに、数日もかからなかった。知ってからは、22:00のオープニングから聞くようになった。

その数年後、21歳の今でもその楽しさを味わうために、今日も私は夜更かしをする。