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こんにちは

最近暖かいですね。わたしが住んでいる所は風が強いです。
少し前の話ですが、先週の木曜日に中学を卒業しました。
卒業式の後、「今まで毎日会っていたこのメンバーとも、頻繁には会えなくなってしまうんだなあ・・・。」と寂しくなりました。
当たり前なことなんて何もないし、何だかんだ言ってもあのクラスが好きだったことに気づかされました。
この3年間で色々なことを学んだし、たくさん成長できたと思います。
学んだことは、「自分次第で人生は楽しめる。」ということです。
わたしは2学期、「クラスの雰囲気が嫌だ。」という理由で、ほとんど学校に行きませんでした。
でも、もしあの時行っていたら、クラスの雰囲気も嫌じゃなくなっていたかもしれないし、もっと楽しめていたかもしれません。
あんなにクラスを嫌がる必要もなかったし、わたしを嫌ってる人も思っていたより少なかったみたいだったので、クラスのみなさんには申し訳ない事をしてしまったと後悔しています。
なので、これからはなるべくプラスに物事を考えられるようになりたいです。
ネガティブ思考になってしまうと、自分もしんどいし周りにも迷惑をかけてしまうので、苦しい事や難しい事こそ前向きに考えて、笑顔でいたいです。
こんな言葉は今まで出て来なかったので、3年間での成長だと思いたいです。
この4月からは高校に行かないので、平日はあまり出かけなくなりますが、学校や寮に居たらできないような事をやれる1年にしたいです。

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「今」できるか、できないかじゃない

今の世界はできる人だけ高く評価して、頑張ってもできない人には綺麗事と大して思ってないような応援をとりあえず言うだけ。
一定ラインを作って、それを超えられた者だけが優遇されて、超えられなかった者は切り捨てられる。
「何ができるか」じゃなくて、「どこまでできるか」でその人を判断し、その人のことが全てわかったかのように接している。
でもそれは、その人のほんの1部分の力や技術を見ただけであって、決してその人の全てを見た訳じゃない。
一人一人持ってる力や技術、素質や考え方、できる事だって違うから、みんな自分なりに頑張ってるんだ。
なのに、同じ事でほんの1部の力を測り、できる人だけが賞だとか1位だとかいう、特別な肩書きをもらう。
自分なりに頑張ってもどうしてもうまくいかない人だっているのに。
力を測られるその分野に長けていれば上位に入るのは当たり前だし、その分野に長けていなくたって他の事なら長けている事だってある。
ゴールにたどり着けない理由が、やり方がわからないだけで時間をかけて取り組んでいたら、できたかもしれない。
なのにこの世界は、「今」、「どこまでできるか」で人や物事を判断する。
できない人にはその人なりの努力があって、やり方を工夫したり回り道をすれば可能性は0じゃないってことをわかって欲しい。