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忘れられない1週間とばあちゃんの形見

ばあちゃんがなくなって、今日でちょうど2週間。
亡くなってから1週間は、里帰りをして、お葬式の全ての行事にも出て、私たち家族は、親族側で人にお葬式に来てもらう側だったので、一人一人に挨拶をしたり来てくれた人に渡すお土産を作って渡して…と泣きたいのは山々でしたが、忙しすぎてそんなこと言ってられないうちに終わりました。でもやっぱり最後のお別れの時は家族みんなで泣いてしまいました。覚えてないほど久々に会う親戚や、ほぼ初めて会うような親戚ばかりだったので、最初の頃はいろいろ大変でしたが、1週間程いたのでそのうちに慣れて沢山話をしました。
名前を紹介したり、受験に受かったことを報告する度、相手の人が笑顔で「おめでとう」と言ってくれたのがとてもうれしかったです。1週間のうちに、母の誕生日、合格発表、曾祖母の命日が重なり心が落ち着かない日々が続きましたが、きっと一生忘れないと思うので、そういう意味では良かったなぁと思います。ばあちゃん構ってちゃんなのかな?笑笑
遺品整理の時に時計をもらい、電池を変えたので動くようになりました。これからはこの時計を大切に使っていきたいと思います。

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言葉の魔法と笑顔

校長、教頭こんにちは。
いつも楽しく聴かせてもらっています。楽しい授業も、胸が苦しくなるような生徒さんの叫びを聴く授業もしっかり一緒に学ばせてもらっています。
そんな私ですが、実は私は先日の曾祖母のことから心がだいぶ傷んでしまって、悲観的に考えることが多く、人の幸せそうな姿を見聞きすると嫌な感情が湧くようになり、私自身もそんな自分が嫌いになり始めたので、1週間ほど登校しないようにしようと思いました。
でも、それでもTwitterやインターネットで今日の授業内容を覗いたり、生放送教室にいた人達の「今度○○があるって!!楽しみ〜!!」という言葉をみると、やっぱりちょっと気になって「少しだけ…」と思って覗いてみると、生徒さんがそれぞれの壁を乗り越えるため、それぞれの目標に向かうために頑張っているのを聴くことが出来ました。
そして、なにより校長教頭をはじめ、講師の皆さんやゲスト講師の皆さん、生徒さん達の声を聴いていると、とても安心しましたし、頑張っている声を聴くと、私も頑張ろうと思えました。そして1番は笑い声と笑顔です。皆さんの笑い声や、放送後記の写真の笑顔を見るととても幸せな気持ちになって、自然と涙が零れました。
この学校はいつもそうで、温かい人の温かい言葉と笑い声で溢れています。こんなにいい環境の学校があること、出会えたことがとても嬉しいです。

Taka先生と行った授業や、月曜日の授業のように、言葉は刃物にもなりますが、この学校はいつも温かい言葉で溢れていると思います。
校長、教頭、講師の皆さんから貰った温かい言葉の魔法や、笑顔や笑い声という万能薬のおかげで前に進めています。ありがとうございます。

本当は休もうと思っていましたが、セカオワ先生のように新曲解禁などもある学校なので、またしばらくはなるべく休まず登校しようと思います。
いつも素敵な授業をありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

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この世界から無くしたいもの

虐待やいじめというのは、私の中でこの世からなくなって欲しいものの上位に入る。でも、戦争や紛争のように、そう簡単にはいかないものなんだろうとも思う。
どうしたら肉体的暴力や精神的暴力がなくなるのか…学校の道徳の授業とかでは、簡単に「人にやられて嫌なことは人にしない」とか「暴力、虐待、いじめはあってはならない」とか「辛かったら周りに相談」とかいうけど、実際それができていたらもうとっくに無くなってると思うし、死語にすらなってると思う。でも現実はそこまで甘くない。
やってはいけないとちゅういすればもっと悪化する事例だって多くある。もしそれで暴力は無くなったとしても、被害を受けた人達の傷は消すことはできない。癒えるのにも時間がかかる。なんでそんなことするんだろう、大変だねなんて人事のように考えてる人が多く居るのも事実。「痛い、苦しい」が声に出せない子が多く居るのも事実。それを助けたいと日々何度も何度も思うけど、どう手を伸ばし、どこまでやっていいのか、どこまでしてやれるのかわからずやり切れない気持ちになってばかり。
どうすることが正解なのかわからない人が多いのも、この問題が解決の方向に進まないひとつの理由だと思う。
どうしたらいいんだろう。私に何ができるだろう。

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里帰りと最後のお別れ

一昨日、全てのことが終わって遺品整理も済んで、昨日帰ってきた。いつもよりちょっぴり長い里帰りはあっという間に時間が過ぎていった。
初日に最後のお別れをした時はやっぱり泣いてしまったけど、私なんかより母が1番泣いてた。
母にとってお母さんみたいだった曾祖母は、最後の最後、連休中には孫であり、娘である母に会って、母の誕生日の前日に息子に当たるおじさんと祖父に見守られて亡くなった。
おばさん達や周りの親族の人達はみんな、「お前に診てもらってよかったと思うよ」「幸せだったと思うよ」と母と一緒に泣いていた。
それを見て私も泣いた。
曾祖母にとって幸せな人生だったかはわからないけど、曾祖母がいろんな意味でとてもいい人で、周りに幸せを与える人だったんだなと思った。家でやったにも関わらず、沢山の人が来てくれた納棺の日。お通夜も沢山来てくれて、みんなとても優しい人ばかりだった。曾祖母の人柄がわかる通夜だった。
通夜、葬儀・告別式と火葬が集落のしきたりなのか普通の葬式と逆だったんだけど、家族の中で私と母だけ納骨まで一通り参加させてもらった。覚えてないだけかもしれないけど、初めて見る光景ばかりで緊張もしていた。
泣きながらお別れをしたけど、進路先が決定して一段落したこともちゃんと報告できたし、お別れも言えた。お葬式に参列した人達にも挨拶しながら、進路のことを話すと口々に「おめでとう」といってくれたり、「がんばれ」と応援してくれた。
遺品整理をしていた時にでてきた、もう動いてない時計を曾祖母の形見として貰った。
思い出すと今でも泣いてしまいそうになるけど、前に進むために曾祖母から貰った言葉や、葬儀を通して出会った人達からの言葉、決意したことを胸に日々頑張っていこうと思う。