志村正彦2
フジファブリックの曲で「茜色の夕日」という曲がある。
フジファブリックで1番有名と言えるような曲だ。
志村の失恋から産まれたその曲は、自分の衝動をそのまま歌詞に刻んだ曲で、人生の中でこの曲に込められたものに勝る想いはないとまで、彼自身が言っていた。
この曲は当時志村正彦がアルバイトをしていたクラブでレコーディングした曲で、天才なんじゃねぇかと店中ぶっ飛んだと、同じくそのクラブでアルバイトをしていた氣志團の綾小路翔が言っていた。
綾小路翔は志村が一度地元に帰ろうとした時に、じゃあ「茜色の夕日」をくれない?と、頼んだほどだ。
また、志村正彦が亡くなって4日後の28日に行われたカウントダウンジャパンには、志村正彦が音楽を始めたきっかけとなった奥田民生が出演していた。
奥田民生は自分のステージの最後にこの「茜色の夕日」を演奏したそうだ。
曲の終わりの方になると、奥田民生は声を詰まらせ歌えなくなってしまったらしい。
そして、最後に「フジファブリック!!」と叫んで、ステージを後にした。
ここでは書ききれない多くの人が彼の作った音楽を聴き、惚れ込んだ。
どうかその音楽が志村が亡くなったずっと後も聴かれ続けるように、もし良かったら、「茜色の夕日」を流して頂きたいと思います。
おねがいします。
長く拙い文章をここまで読んでくれてありがとうございました。