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春からの宣言

自分が目指していた第1志望の大学には落ちて、春からは県内の別の大学に行くことにしました。第1志望に向け、勉強はしてきましたが、やはり志望校を決めるのが遅かったせいかそれまで(志望校を決めるまで)なかなか勉強に身が入らず、自主的に学習することが出来ていませんでした。だからまぁ落ちたのも分からなくはないんです。もちろん“悔しい”という気持ちはあって「もっと早く志望校を決めてれば」とか「あのときああしていれば」とか今思い返してみると、色んなこと思います。ただそれも今となっては後の祭り。気持ちを切り替えて県内の大学で頑張ろうと思ってます。

“第1志望校にしかないこと”があるように“その大学にしかできないこと”はそれぞれどの大学にもあると思います。結果的に落ちてはしまいましたが、受かっていた方の大学にもちゃんと良さがあり、違うのは学習環境くらいなのかな…と思うようになりました。

その大学にむけ今入学準備(スーツ買ったりetc)をすすめていますが、つい先日 入学式の規模を縮小して行うという文面が届きました。元々大きめの会場で全学部・学類で行うはずだった入学式が大学校内で、さらに午前と午後とで分割して行うという内容でした。 昨日3/24は(宮城県で)過去最高の171人を確認(内仙台市131人)。宮城県は最近になってまたコロナ感染者数が増加して来ていて、規模縮小となった入学式もこれからの感染者数によっては中止にもなり得る。高校3年の卒業式も規模縮小、大学の入学式も規模縮小…このご時世のため自分だけではないと分かってはいても、やはり人生の大事なものなので多少なりとも悔いは残ります。

友達と卒業旅行とかしたかったなー…

でもいまはコロナにならないよう手洗いうがいの徹底をするしかないですよね。一刻も早く終息しますように…

長文失礼しました。

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3.11から未来へ(長文になります)p.1

長くてひとつに収まらなかったので、ふたつに分けて書き込みさせていただきます。

東日本大震災から10年

10年前の今日 東日本大震災が起こった。1万5900人(12都道県)もの方が亡くなり、今現在も行方不明者が2525人に(6県)上る。(R3 3/1現在)
自分の家では電気が止まっただけで、水道は止まらなかった。もちろん不便な生活ではあったが、宮城県内でも軽度の被害だったと思う。 だが、岩手県陸前高田市に別居していた父方の祖母が… そこ(岩手)で同居していたおじにあたる人は今現在も行方不明となっている。 こういった経験をしているのは自分だけじゃないだろうし、してないからといって同情しろとも言わない。ただ理解はしておいてほしい。

震災から何年かして、その祖母の家があったであろう場所へ行きました。確かに家があった証である基礎(?)の部分がありました。しかし基礎だけでした。道路を挟んだところに公園もあったのですが、遊具なども全部流されていました。家が流されるぐらいだから当然といえば当然なのですが、(公園が)あったであろう場所に何も無く、虚無感のようなものを感じたのを覚えてます。

今年はあの震災から10年という節目の年でもあります。自分に限らず人の記憶というのは薄れていくもの。そして3.11以降に生まれた人は、あったことを知らずに育ちます。それを“仕方ないこと”で終わらせないため“語り部”と呼ばれる方がいるのだと思います。震災が齎した被害や逆に教訓として後世へと語り繋いでいく。そうして実際に経験したことの無い人でも間接的ではあるが“あの日何があったのか、起こったのか”を知ることが出来ると思います。

「10年」という歳月を「『もう』10年」と捉えるか「『たった』10年」と捉えるかは人それぞれだとは思います。震災で失われた生命や震災前の生活は、どう願っても、努力しようとも戻っては来ません。 10年経っても心の傷が癒えていない人もまだまだ大勢いると思います。周りには「まだ引きずってるのか」なんて言う人がいるかもしれない。でも自分はそれでもいいと思う。10年でダメなら20年、30年…と どれだけ時間がかかっても、毎日毎日ほんの少しずつ前を向いていければ。

↓↓↓次の書き込みへ続く↓↓↓