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もう戻る気はない。

母の日を目前に母と喧嘩しました。
今月で何回目の喧嘩だろう。10回以上だってことはわかる。
親子のくせに普通よりめちゃくちゃ仲が悪い。
喧嘩するほど仲が良いと言うけれど、家にはそんな事すら存在してない。そもそも、母と父の性格が正反対だったと思う。だから私は性格が父に似て、顔が母に似てしまったのだろう。
こんな思考を持ってしまった私はもう仲よくすることを
         諦めた。
だから私は母の日には何もしていないし、喧嘩した日から喋ってもいない。もちろん感謝なんかみじんもしていない。
だから洗濯とかも別々にするようになったし、私は母に会わないようにずっと部屋に引きこもって課題をしている。
高校を卒業したら、家を出て行くって決心もした。
そんな私でも、心が窮屈になる時がある。
そんな時にはすとぷりの声や曲を聞いたりしている。するといつも泣いてしまう。
他の人からは変な人に見えてしまうのもおかしくはない。
でもこんな私を受け入れてくれる人はいないと分かっているから、親友にも彼氏君にも打ち明けてはいない。でも、ここの保健室には私と同じような人も居た。
だから私はこの内容を、勇気を出して書き込みました。この内容を見て引いてしまっても構いません。それを分かって書き込んだので。

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どうしたらいいの…?

私にはお父さんがいません。私が物心つく前にお母さんは離婚したんです。なので私にはお父さんとの思い出もなくて、いつの間にかお父さんがいないのが当たり前になっていました。でも、離婚してからお母さんは私を保育園に預けて、夜遅くまで仕事をしていました。保育園は楽しかったですが、家では寂しかったです。私には兄弟がおらず、遊び相手はいとこしか居ませんでした。小さい時から休日はいつもいとこの家に一日中預けられ、いつの間にかお母さんとの思い出よりいとことの思い出が多くなっていました。
それにいとこの家には、おばあちゃんがいたので小さい時はおばあちゃんが親代わりでした。それは小学校に行っても変わらず、家に帰ることが一番の苦痛でした。それが3年間続き、小学4年生で転校しました。その時期には親友が居ましたが転校したら、そのまま会わずに関係は終わりました。それから新しい友達ができましたが、その時期にはお母さんに反抗していました。なので気持ちが辛くなり、誰もいなくなった昼休みに2階の教室の窓から身を出して本当に死のうとしたこともありました。そんなこんなで年月が過ぎ私は小学6年生になっていました。すると私は段々女子に陰口を言われるようになりました。そして、仲良くしてくれる女子も減っていき、いつの間にか男子のほうが仲良くなっていました。そして私は、とうとう女子の番長的存在の4人にいじめられました。(無事解決しました)そんなこんなで私には新たな親友と初彼氏が出来ました。それにとても仲の良い男子友達ができました。しかもこの4人が面白い関係で繋がっていました。
  親友×とても仲の良い男子友達=カップル
  自分×初彼氏=カップル
  親友×自分=親友
  初彼氏×とても仲の良い男子友達=親友
こんな感じで途中からいい方向になっているので私的にも嬉しいはずなのに、You Tubeで莉犬くんの歌を聴いて居たら涙が溢れてきてなんだか辛い気持ちになりました。私はもとから人前で弱い姿や悲しい感情を出さずに強がって生きて来たのですが、そのせいで私自身をみんなに見てもらえていない気がしてついつい弱気になっていました。私は今ここから先が見えなくなっています。どうしたらいいんですか