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generations先生の時のお話の続き

前回、中務裕太先生、関口メンディー先生、片寄涼太先生が来校されたときに逆電で相談したものです!
その時は怪我をして高校生活最後のダンス部の舞台に立たないかもしれない。迷惑をかけるなら今この時点で出ない決断をするべきか、という相談をしました。

そしてその日から今日まで自分で考え、仲間に相談し決めた答えは私が今まで出る予定だった10作品の中で私がメインで踊る時間が多い3作品に絞って出させていただくことになりました。
やはり全ては時間的にも厳しいという結論になりました。ですがラストにみんなで踊るエンディングは裕太先生が助言してくださった車椅子の案を相談したらいいじゃん!と仲間も言ってくれて車椅子で出ることになりました。
メンディー先生がダンスは見せるものだから見てて心配になるものは出ないほうがいいという言葉がすごく残って、出るか、出ないか本当に迷いました。
自分でも見てて心配になるようなダンスは見せたくありません。
でも最後にみんなで立ちたい舞台だからこそ少しの無理をして頑張りたいと思います!
あの日の掲示板でたくさん応援してくれた皆様、校長、教頭、そしてgenerations先生、ありがとうございました!私は気持ちを切り替えて頑張ります!!!

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仲間に言えなかったこと

わたしが仲間に言えなかった言葉は『支えてくれてありがとう!』です。
私は、高校三年生で今年の夏に全国大会に出場予定でしたが中止になり引退が早まり7月に引退しました。
私は、部長をつとめていました。わたしが所属していた部は指導してくださる顧問の先生がおらず、3年生が中心となり1日の練習スケジュール、月の練習予定、大会出場の申し込み、もちろん下級生の指導、作品作りも行ってきました。
そのなかで部長であった私はひとりで抱え込みすぎて精神的にしんどくなってしまいストレスで一時期髪の毛が抜けたりしていたり、どんなけ踊って動いてもお腹が空かず食べれない時期があったりなどしました。
作品のこと、部をまわすこと、何一つ自分でできない自分がいやでした。
わたし以外の人が部長の方がいいのではないかそう何度も思いました。
だけどそこで支えてくれたのが同期や、したの学年の子達でした。同期はわたしに声をかけてくれて、ひとりで抱え込まないでいいよ。4人でここまで来たんだから!っと仕事を分散させてくれたり、
したの学年の子達は私がどんなにできてない部長だったにもかかわらずずっと信じてついてきてくれました。
そんな恵まれた仲間に囲まれて引退できてとても嬉しかったし幸せでした。
でもしっかりと感謝の気持ちを伝えることができず3年は受験に向かい、したの学年の子達は自分達が最上級生として前に進み始めました。
もうこんなに時間がたってしまったから余計いいずらくまだ言えていません!でも、絶対に伝えたいです!!

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私が伝えたい想い

私は創作ダンス部の部長として活動していました。
全国大会はコロナの影響で中止になりましたが、7月25日に親やお世話になった方々にいままでの作品を発表する会を設けてそこで引退をしました。
そこで、わたしが届けたい思いはありがとうということです。

私が所属する創作ダンス部にはちゃんとした顧問の先生がいらっしゃらないので月の練習予定、練習内容、作品作り、衣装作り、照明案、大会に参加するために必要な書類、学校に部として提出する書類、など全て自分達でやってきました。
私は部長なのでその仕事のほとんどのことをやって来ました。作品作りや、衣装作りなどはみんなで作ってきましたが書類など等はわたしがやってきました。
でも、ほんとに大変でほんとにやめたいとおもったことがなんかいもあります。
部活がストレスで髪の毛が抜けたりしてた時期もあるくらい追い詰められてたときもありました。
わたしじゃない他の人が部長をやった方がいいのでは?と思うことも何回もありました。

ですがここまでやってこれたのはわたしが部を仕切るときにこっちのやり方の方がいいんじゃない?と助言をしてくれた副部長やわたしがしんどい時話を夜まできいてくれた同期の3人、こんなわたしに最後までついてきてくれた後輩がいたからです。
感謝してもしきれません。
めちゃめちゃ特別な存在だからこそ、毎日夜まで作品のことを一緒に考えてて家族よりも一緒にいた時間が長かったみんなだからこそ恥ずかしさもあってなかなかありがとうが伝えられませんでした。
またしたの学年には引退が早まってしまったから教えきれていないこともたくさんあります。1つ下の学年の子は作品を一緒に作り上げていったくれた後輩ではなく仲間のような存在です。
その子達になにも残すことができなかったごめんなさいとともにいつでも頼ってほしいなってことを伝えたいです!!