中年と犬#2
「……助けてもらってどうも」
野良犬が頭を下げながらもごもごと言った。
「ほんとに感謝してる?」
「はい」
「いや、そんな感じしないなあ」
「してますよ」
「そうかあ?」
「してますって」
「またまた」
「してますしてます」
「嘘だあ」
「嘘じゃないって」
「そーお?」
「はい」
「じゃあ、証明してみせてよ」
なるほど、そういうことか。野良犬は腹をくくった。
「わかりました。おともしましょう。鬼退治に」
「そうこなくっちゃ。わたしの名前は太郎だ。よろしく」
俺の名は、と野良犬は言いかけたが、どんな名前だったのか思い出せなかった。名前があったのかどうかもわからなかった。なのでかわりに、「きび団子は?」とたずねた。
「そこの茶店で、茶を飲みながら一緒に食おう」
中年男、太郎はそうこたえて、あごをしゃくった。
*
図書館で本を数冊借りてはろくに読まずに返し、また数冊借りてはろくに読まずに返しを繰り返している。
映画もそうだ。たまに無料動画配信サイトのおすすめなどを面白そうだと見始めるも、すぐに飽きてしまう。
本にしても、映画にしても、有料であれば最後までつき合うのだろうが、そもそも金を払う気がない。
なぜこのようなクールダウンを起こしてしまうのかというと、言うまでもない。ネットの弊害、情報に希少性がなくなった、に加え、年をとったからである。
ネットの弊害というのはよくわからないけど、やっぱり年とるとそうなるんですね。嫌だなぁ。つまらない。なんて若者は言うかもしれない。そしてどこかに行ってしまおうとするかもしれない。が、待ちたまえ。そこが若者が若者たる所以。生きることはつまらないことなのだ。つまらないことを面白くしようとあがくみっともなさを自覚し、つまらなさを受け入れる強さを持たなければ未来は暗黒である。
と、かようなことを考えながら近所のバーのカウンターで太郎は酒を飲んでいた。
三十日ぶりのアルコール。ビールの中瓶を一本空けたが、気分の高揚はない。二本目を注文。三十日前の太郎だったら常連客の会話に割り込み、杯を重ね、ふらつきながら二軒目に行っていただろう。だがしかし、太郎は決心したのだ。日々を淡々と生きることを。