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サーカス小屋 #ナイフ投げのデュマ

物心ついた時から、僕はナイフを握っていた。
蝶々結びのやり方より先に、ナイフの投げ方を教わった。父は、元・サーカス小屋1の人気者ー"前・デュマ"だ。
僕は、まだ歩くこともままならない頃から、父の後を継ぐ、素晴らしいナイフ投げになることを誓わされた。「1番」というレッテルを貼られて一生を生きることになったのだ。
ただシールで貼られただけだった「1番」は、今ではしっかりと焼きごてで焼き付けられている。
僕は目隠しをしたバニーガールに向かってナイフを投げるたび、涙を流す。みんなはそんな僕を、失敗を恐れる弱虫だと軽蔑する。でも僕は、失敗なんか怖くない。僕が恐れるのは、あの娘が本当は恐い思いをしているのでは、ということだ。だって、自分の身体スレスレにナイフを投げつけられるのだよ?
このサーカス小屋は外とは違う世界だ。
法律も憲法も通用しない。
歌姫もピエロも調律師もいるけど、天国なんかじゃない。
僕は、デュマの息子。所謂ボンボン。
1番人気の父の名を襲名できたのは、父が体を壊して長期療養に入った時期に、たまたま僕が義務教育を終了して、たまたま父の弟子がいなかったから。
本当に、たまたま。運ゲー甚だしい人生。そんなもんだろ。

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サーカス小屋 #空中ブランコのクレオパトラ

「お願いだから、ここにいて」
「ひとりにしないで」
そんなセリフ、もうとっくに聞き飽きた。独りになりたくなくて、「みんな」に入りたいと願う人々は、その境界線に立ち尽くしていた私をマジョリティーに引きずり込み、自分の味方として背後にはり付けた。
 こんなに小さなサーカス小屋の中でも、格差は激しい。偉人の名を襲名した者には、絶対的な権利があった。だから、”クレオパトラ”である私もみんなの上に立つべきなのだけど、周囲が、空気が、それを拒んだ。
 私も特に抵抗せず、ゆらりゆらりと流されて、この境界まで来た。私自身も、それを望んでいた。
 中途半端なくらいが、ちょうどいいのだ。

 天井からぶら下がったブランコ。命綱なんかいらない。落ちて死ぬなら、それでいい。私は私の人生を、運命を、そのまま受け入れる。それはきっと、自分自身を肯定することにつながるはずだ。それが例え、絶望を招き、私を不幸に陥れるものだとしても。全部一緒くたに、そっと抱き寄せる。

 小さな小さなサーカス小屋。観客は100人もはいれば満員。でもその中で、私は空を飛べる。上を見上げても、見えるのは薄汚れた天井と、大きな照明機材だけ。私は、ブランコに乗れば、見たことのない海にだって潜れる。それは、とても美しいことだ。

 世界中を飛び回るサーカス小屋。
 街の人を虜にして、熱狂的に狂わせて、私達抜きでは生きられない体にしてから、その地を去る。あれは全部夢だったんじゃないか、と思うくらい突然に、足跡一つ、衣装の糸くず一つ残さず。
 一度行った地には、もう二度と行かない。それが私達の唯一のルールだ。これだけを守れば、あとはなんとかなる。外の世界も、そんなもんだろう。
 なんとかなるものなのだ。