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エッセイ的な何か

世の中には「孤独が耐えられない!」「ひとりぼっちだと死んじゃう!」って人、結構いるよね。
それに対して今のウチは、ずっと1人でもなんとも思わないし、むしろ1人の方が気が楽な時があるのよ。
「孤独を好むのは発達障がいのせい」と言えばそれまでなんだけど、正直それじゃあ腑に落ちない。
じゃあなぜか、色々調べたり考察したりしてみると「自己を肯定できているか」って所に行き着く。
「孤独を感じない人」は自分のことを1人で評価できているから自己肯定感が高くなるが、「孤独を感じる人」は他人にばかり己の評価を求めているから寂しがってるそうなんだ(ネット調べ)。
まぁホントかどうかはさておき、寂しがってる人って他人に肯定されたがっているのかなとは思える。
そういう人って、認識の有無を問わず自己肯定感が低そうだしさ。
自分が一時期友達が欲しくて仕方なかった時も、自己肯定感が低かったんだよね(あと普通の人間は友達がいて当然という思想)。
それがどうでもよくなったのって、ある意味学力とか他人への信頼とか色んなものを失って最後に自分の中に己が愛した創作活動しか残らなくて、ひたすらそれを続けていたからだし。
あと歳の近い妹に「大学では好きなことをやっていい」って言われたこともある。
好きなこといっぱいやってる内に気付いたら寂しさを感じなくなっていったんだ。
だから孤独を感じる人は“(コンプライアンスに抵触しない程度に)1人でもできる”好きなことを見つけることから始めてみようぜ。
きっと好きなことに没頭してれば寂しさなんて感じないはずだからさ。

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傷痍軍人さんと少年 Ⅰ

 私が小さかった頃の話をしてやろう。お前は今いくつだ?エエ、五歳?だったらお前くらいの年だよ。

 私の生まれた家のすぐ近くには川があって、川沿いを鉄道が走っていたんだ。
 いつだったか、私はお父さん……お前のひいじいちゃんと一緒に鉄道に乗った。黒くて不愛想で、お前の身長よりずっとずっと大きくて、かっこいい汽車だ。でも、修理が終わっていなかったもんで全身傷だらけの汽車だった。
 私とお父さんが乗った、一番前の車両の座席には、傷痍軍人さんが何人か座っていた。傷痍軍人ってわかるか?戦争で立派に戦って傷を負った兵隊さんたちだ。かっこいいぞ。
 私は、一人の傷痍軍人さんの前に座った。顔に大きな火傷の跡があって、右腕を吊っていた。窓際に松葉杖が立ててあって、足も悪くしているようだった。
「こんにちは」
 私は言った。私は軍人さんと話がしたかったのだ。その頃軍人さんってのは子どもたちの憧れの存在だったものだ。軍人さんになって鉄砲持って、敵を沢山やっつけるぞって、本気で思っとったのだ。そんなような人たちだったから、私はいろいろと話したかった。
「こんにちは」
 傷痍軍人さんも挨拶してくれた。
「その怪我は、戦ってきた怪我?」
「そうだね。遠い、南の方まで行ってきたさ。そこで敵の軍と当たって、このざまだ」
「かっこいい。内地を守るためにした怪我でしょ?」
私は目をキラキラさせたよ。だけどね、傷痍軍人さんは窓の外、それも、ずっとずっと遠くに目をやって苦笑いした。
「どうかな。今は……もう分からんね」
そう言ったきり、窓の外をぼうっと眺めるだけで、私に話しかけてはくれなかった。
 私は残念に思って、一緒に外を見ていた。