表示件数
0

勇気を貰った曲

私の勇気を貰った曲はミセス先生の鯨の唄です。
この曲はあまり明るい曲ではありません。でも、この曲に出会った当時、ちょうど世界では戦争が起こってました。連日ニュースでは戦争真っ只中の国の映像が流れ、心を痛めていました。そんな時この曲に出会いました。「手を挙げて叫んでいるの」。この歌詞と戦争が起こっている国の子供達がリンクしているように思えたんです。日本は今は平和だ。だけど、少し遠くにいる同い年の子、それよりも小さい子は平和とはとても言えない状況にいる。私に何ができるだろうか。そう思いました。今年の一月。ちょうど部活の新体制が始まり、重唱のコンクールに出ました。そこで歌った曲は、戦場カメラマンの日記から作られた曲でした。日記を書いた方は戦争に巻き込まれ亡くなってしまったそうです。「戦争をやめよう」なんてそんな簡単に言えるものじゃない。何も考えてこなかった私がこの曲を果たして歌ってもいいのだろうか。そう思っていました。でも、鯨の唄に励まされ、戦争を、この世にある全ての争いをやめて欲しいと願って歌うことが出来ました。ありがたいことに金賞をいただくことも出来ました。でも、それよりも、私はこの曲を、この歌詞を、この言葉を、多くの人に届けられたことが何よりも嬉しかった。ありがとう。

2

「やさしさ」が分からなくて、もがいてます。

レトロリロンさん、校長教頭、こんばんは!
レトロリロンさんの、自分の矛盾から来る葛藤を謳い上げた歌詞と、それを時に包み込み時に抱え上げるインストゥルがたまりません。いつも、私を鼓舞しつつ心の中を代弁して下さいます。ロンリーパラドックスという言葉にはハッとしました。そんなレトロリロンさんだからこそ聞いてほしいお話があります。

私は現在、大学1年生です。大学に入ってから、周囲の人に言われるようになった言葉があります。
「やさしいね」
今までこの言葉をこんなにも言われたことはありません。
大学に入り、色々なことを頑張りました。特に、今までの「殻などぶち破って脱ぎ捨て」たかった私。外見の努力もしましたが、それ以上に性格を変えていきました。積極的に話しかけ、よく笑い、よく人を笑顔にさせる。無理はしていません。ちょっと頑張った、というところでしょうか。どうもそういう様子を「やさしい」と評価してもらっているようなのです。
ただ、どうでしょう。この嬉しい言葉はどうも、私には相応しくない気がします。私はそんな奇特な人間ではないのです。
私が人に優しいのは、優しくすれば優しくしてもらえるから。話しかければ後々私に話しかけてくれる。笑顔で接せば後々私に笑顔で接してくれる。笑顔にすれば後々私を笑顔にさせてくれる。この ” リアル・情けは人の為ならず ” を、私は半ば本能的にやっているのです。「やさしくしている」自覚はあります。でも「やさしく」はないんです。

「無償の愛」という言葉もあるように、与えることを喜びとするのが真の優しさだと、私は考えるようになりました。優しさって見返りを求めないものなのでは? だとすると、見返りありきの私の優しさは、優しさとは言えない気がします。レトロリロンの皆さん、どう思われますか?「やさしさ」って、見返りを求めないことでしょうか?
「やさしさ」が分からなくて、もがいてます。