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原発

私は原発のある所に住んでいます。
世間では、原発反対だの賛成だのいろいろな意見が飛び交っていますが、地元の方からするととても複雑なのです。
そもそも原発が立地する自治体には国などからの給付金が支給されます。
でも、もし仮に原発をなくしてしまうとこの給付金がなくなり、その自治体はかなりその給付金に頼っています。
自治体だけでなく、地元の経済はかなり原発の影響を受けています。
なので原発がなくなれば危機的な状況になるかもしれないです。
でも放射能漏れとか事故が怖いです。
生活しているところと原発が近いのでなんかあったら怖いです。
なので簡単に賛成や反対など言えない問題です。

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3/11

あの時は小5だった。急に大きな地震が来て全てが止まったような気がした。山形だから大丈夫だって他人事だったけど停電も発生して恐怖だった
あの時火災、津波と様々な自然現象に見ているだけであった。そのあとの追悼式、黙祷では、自然に涙が出てきた。あの時の他人事だった自分を許せない

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あした

明日は絶対に忘れちゃならない日。ずっとこの先自分の子供ができたときに教えてあげて絶対記憶をとぎらせてはいけないと思う。

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5年

5年前のあの日、私は当時小学5年生。三学期最後の理科の授業を受けて理科室にいました。
友達が揺れに気づき、理科室のぶら下がった電球がブランコのように揺れ、窓がきしみ、経験したことのない恐怖が私たちを襲いました。
避難で外階段を走っていた時いつもはおちゃらけてるクラスのみんなのあんなに怯えた声は初めて聞きました。
校庭に出ても余震が続き友達のお父さんがみんなを送っていってくれました。
家に着くといつものテレビはやってなくてお母さんがケータイを握りしめて祖母と祖父に電話をかけていました。
電気でキッチンがなりたっていたのでお鍋用のガスコンロでスパゲティをお母さんが作り、薄暗い中で食べ、いつ避難してもいいように私服を着て電源の落ちたこたつに湯たんぽをいれ、そこでみんなで寝ました。目を覚ますとあれだけ非日常的な事が起こったのにまた朝がきました。
テレビをつけると私達が想像したこと以上の事が震源地の東北で起きていました。
福島では小学5年生には理解出来ないことが起こり、
岩手の方では「津波」が町を襲い、
日本で何が起こったのか理解はできませんでした。

あれから5年私は中学校を卒業しようとしています。
3月になるとテレビ番組はあの日の話になります。あれから5年復興は進んでいます。でもまだ。まだまだ。みんなが元通りになる事は不可能だとしても10年後20年後少しでも多い人が普通の幸せな生活が過ごせていたらと思います。
長文失礼しました

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生きているだけでこんなに幸せであること

当たり前に生きている事が、こんなに幸せだなんて今まで思いませんでした。でも、震災が起きてからこの幸せを生きているだけでこんなに有難い事だと思うようになりました。たった一つの地震で1万人以上の命を奪ってしまった。でも、自然を憎まないで欲しいです。これからも我々人間は自然と共に暮らします。人間はずっと自然と共に生きていくのだから。

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1人の被災者として

テレビなどのメディアでは風化させてはいけないって言ってるけど、被災者は忘れて欲しいことも忘れて欲しくない事もあるっていう真実を伝えるべきだと思います。そして思い出したかのように3月になるとその場その場だけの情報になっているのを感じます。 私はこういったことをSCHOOL OF LOCK!!の生徒のみなさんだけでも知っていて欲しいと思ったので投稿しました。

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あの日を境に

家族でも避難場所の確認とか非常用の食品とか今まで以上に備えて置くようになったな。

明日何があってもすぐ対応出来るように…。

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明日で5年

私は5年前小6でした。授業を受けていた時急に揺れました。その時はすぐに揺れがおさまりました。家に帰ってニュースを見ると、車とか家が流されているのを見て、とても驚きました。今でも
覚えていて、思い出すだけで胸が苦しくなります。
私は絶対に3月11日を忘れません。忘れてはいけない日だと思います。

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決めた

未来新聞読みました。
私の祖父母が福島に住んでいるので震災のことはただの他人事とは思えません。
今でも復興はまだまだすすんでいないのはこの目で見ています。
だから、小さいことでもいいから東北の復興のお手伝いがしたいです。
明日私の学校で最寄駅での募金活動のボランティアがあります。参加します。
夏休みには福島にボランティア行きます。
絶対です。これは決心です。
東北のみなさんの心の傷が少しでも癒えますように。そして復興が進みますように。

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あれから5年

あの日から5年経ったけど、あの時は小5で学校は大掃除を始めて、机などの備品を廊下に出して教室の床にワックスを掛けようとしたら、あの大きな揺れに襲われ、校庭へ避難する時は恐怖で手が震えてた事を覚えています。
家に帰って、テレビを見たら津波の映像を見て、心が本当に痛くなり何も言えなかった事を覚えています。
5年経って思うけど、自分ではあっという間な5年でした。
これから10年、20年、経つに連れて、あの日の事を風化させない様にみんなでこれから生まれてくる子供達に震災の事を伝えていける様にしなければいけないと思いました。