早かったような気がします・・・ 群馬だから津波こないけど(あたりめえ〜だ)
停電は やはり きました
でも 東北の皆さんは、停電より大変しかも苦労した(している)と思います。
それでも 生き抜いている すごい。
そう思います。
おはよー(●´ω`●)♥︎♥︎
今日で、神戸に居れるのも最後。。。(●≧艸≦)
親友ともバイバイしなきゃだ。。。(。 >艸<)
寂しいなぁ。。。(( 。>艸<)-3
でも、ラスト1日楽しむぞー(⋈◍>◡<◍)。✧♡
帰りに神戸土産買っていこっと♪♪
友達がどんどん変わってる気がする…
小学生の時もクラスが変わると全然話さなくなって
次同じクラスになった時は初めましてみたいになってるんだよね…
ココでもなってるかもしれん…
でもしばらく話してないのに急に馴れ馴れしく話しかけんのもアレだし
だからといって初めましてな感じでもダメだなって
向こうの人も別に私なんていらないんじゃないかって(´;ω;`)
それに私さ、八方美人て言われるんよ…
そんなつもりないんだけどね…
周りからするとそうなのかな…
うぅ…なんかダメだ…(ノω・、)
どうすればいいんだろ…
校長ー!たまにでいいので
乃木ネタの話聞きたいです!
当然ご存じでしょうが「インフルエンサー」
そろそろ発売ですね(^3^)/
3.11当日
あの日は小学校の卒業式のちょうど1週間前だった
自分は他のクラスメイトと違って中高一貫の男子校に行くことが決まっていた
友達と別れる前に起こった震災
あの日の地震のせいで東北を中心にたくさんの方が亡くなった
自分達は幸運にも予定通り卒業式を行い、無事皆卒業できた
自分が通う中学校は全国から生徒が集まる
それゆえ寮に入るやつもいる
そこには当然東北の子達もいる
元々寮に入る予定だったけれども福島の原発のせいで北海道まで家族で引っ越して来て家族と一緒に暮らし、学校に通うようになったやつもいる
中学の先生は
お前ら 実感ないだろうが
君たちは東日本大震災の生き残りなんだ
その経験は忘れてはならないし次の世代に必ず伝えなさい
と言った
また亡くなった人の分まで毎日必死に生きなさい
また校長先生は
中学校の入学式から高校の卒業式までの6年間に
必ず年に1回は校長先生の挨拶で東日本大震災について語った
特に記憶に残っているのは
6年前の3月11日 卒業式は中高別で中学校の卒業式の日に高校生は寮からそれぞれの家へ帰省していた
これから楽しい春休みが始まるって日に震災が起こった
寮があるって縁で先輩後輩の上下関係が他の学校より強いことがあって(体育会系って訳ではないが笑)どうしたらいいかわからないと言っていた顔見知りの後輩を家に泊めるなどして互いに助け合ったらしい
うちの学校のモットーであるファミリースピリットがなした話だと思った
中には屋上から実際に自らの目で自分の家が流されるのを見た人もいる
という話も聞いた
また 高1のときは復興宣言がなされた被災地へ赴き、現地の方々と一緒に災害時の避難や誘導のシュミレーションをした
震災があった年に入学し、進級するたびにもう○年経つのかと思った
中1のときは6年ってなんて長いんだろう
その頃には物事はだいぶ変わっているだろうと思っていた
しかし6年はあっという間に過ぎ、東北の復興は進んだのだろうか?
福島から移ったやつは未だに地元 福島に帰れていない
自分には幸運にも自慢できる友達が全国にたくさんいる
これからはそれぞれが別々の道を歩んで行く
その友達が皆それぞれの地元で心から笑えるようになってほしい
3.11・東日本大震災当時、私は、中学3年生でした。
次の日が卒業式で、下校中に被災しました。
震災の影響で、高校の合格発表が延期になり、4月からのどこの高校に通うのか不安だったことを覚えています。
東日本大震災を経験して感じたのは、当たり前の生活ができている感謝です。
震災後、電気・ガス・水などのライフラインが止まりました。日常で、当たり前のように使っている電気や水ですが、使えているのは当然ではなく、感謝すべきことだと感じました。
私は、東日本大震災を経験して、当たり前を当たり前だと思わずに何事にも感謝できる人間になりたいと思いました。