今でも 原爆いじめ おこってるんだろうなあ
でも、俺たちはさっきのタヌキさん(全部ラジオねーむ覚えてなくてすいません)
の話で少なくとも 生徒の俺たちは もう被害を増やさないと思う。
2011年3月11日午後2時46分16秒。宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7を観測した東日本大震災が発生。当時、僕はまだ、小学2年生だった。次の日が卒業式だったため、午前授業で家に帰っていた。自宅ではなく、近くにあるお婆ちゃんの家にいた僕は、震度6弱というとても強い揺れをかんじた。テレビや本棚は倒れ、マンホールは液状化している。揺れがおさまると同時に、余震と思われる震度5強の地震がきた。少し揺れがおさまってくると、僕は、自宅へ向かった。しかし、そこで目にした光景は、壁に亀裂が走って、傾いている状態の家だった。衝撃だった。勿論、家には入れない。なので、お婆ちゃんの家で、1ヶ月ほど暮らした。あの地震は、未だかつてない、大地震だった。夜も、眠れず、ほとんどオールナイトだった。
福島の桃はすんごく美味しい!
ほとんど水かって感じ!
みんな食べてみて!
いつも帰省すると、なんだかリラックスできる場所、そんな場所は、福島!
福島はすごい!大好き!
震災が起きたときは本当に突然のことでびっくりして、ニュース見ても言葉では表せないくらい恐ろしかったのを覚えています。その中でも一番心配だったのは宮城にいる友達のことを心配しました。大丈夫だったかなと思い、昨年の夏に一人で宮城県に行き友達に会いに行きました。でも残念ながら友達の予定が合わず会えなかったのですが、連絡は出来たのでよかったと思っています。
遠くにいる友達が元気だと知って、少しでも復興出来るように自分が出来ることが見つけられたらいいと思います。
なんでイジメってなくならないんだろう。
イジメで得する人はいないのに。
それに気づいてるのか、
気づいててもやめないのか。
そして、止める人もいない。
見て見ぬ振りなんて、俺は絶対できないけど。
勇気を出して、1歩でも前に踏み出すべきだ。
本当にもっと、人の気持ちを考えろよ。
東日本大震災は、私が小学2年生の時に起こりました。
私はその時、公園で縄跳びをしていて地震に気づきませんでした。
そして、家に帰りテレビをつけたら、東北がすごいことになっていて当時小2の私でも震災のすごさを知りました。
そして、小学5年生の時に家族と東北に行きました。
その時に仮設住宅や土砂崩れの跡など、震災の恐ろしさが伝わるものを目の当たりにしました。
その時に見た光景は一生忘れないと思います。
実際に見に行ったからこそ、震災のすごさ、まだ苦しんでいる人が沢山いることが分かりました。
まだ、私は募金くらいしかできないけど、
そんなちょっとしたことが役に立っていればいいなと思います。
被災者の方々はたくさんの悲しみや苦しみを抱えて生きているのにどうして更に傷つけることをするの?
そんな残酷なことをできる人の気持ちが知れません。
僕なら、被災者の同級生がいたら、友達になりたいし一緒に笑いたい。これ以上悲しませたくないし、震災を乗り越えた強さを持ったスゲーカッケー人なんだもん。
周りのどう思われたって、一人では耐えられない辛いことでも二人でなら笑って流せる。
今も被災者いじめを受けて辛い人もいますよね。綺麗事に聞こえちゃうかもしれませんが、僕はあなた方を尊敬しますし、笑ってほしいです。
周囲に仲間はいなくてもここにはたくさんの仲間がいます。
カッケーあなたを嫌いにならないでください。
あの時は小学6年生でした。
学校で震災を経験しました。その後親が迎えに来なくて学校に11時まで残りました。親が死んだんではないかと不安になったりしました。
家族全員が無事だったのですが、知り合いが亡くなったり引っ越したりするなかで、震災の恐ろしさを知りました。忘れられない1日でした。
あの1日を経験した者として、これからの日本のためになる必要があると感じてます!がんばります!
いじめ、最低。
東北の仲間たちの生の声を聞いて泣けてくる。
そんなことをする人が日本にまだいるなんて。
純粋な子供を染めるのは大人。
その大人も怖いけど、歯止めをかけれるのも大人。
いじめはどこにも責任がある。
一人一人の言葉の重みを知ったほうがいい。
だからこそ、大人でも子供でもない自分ができることがあるはず。
東北はめっちゃ楽しい・美味しい・綺麗っていう偏見(あえて使わせていただきます)も作れるのはず。
こういう考えができるのは、変なしがらみに囚われていない自分たちなのかもしれない。
進め、復興。
俺も頑張る。
あの日の出来ごとは、鮮明に覚えてる。忘れたくても、忘れられない。でも、後生に伝えていくためには忘れてはいけない。