今日思ったのは、
まだまだ生きてやるってことかな。
未来を作るのは俺らだからな。
2011年3月11日、東日本大震災にて
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
普段何気なく毎日を過ごしているけど、それって当たり前のことじゃないなって思うし、こうして毎日SOLが聴けているのも当たり前じゃなくて奇跡なのかなって思う( ¨̮ )︎︎❤︎︎
いつもありがとう(*´艸`)
これからも1日1日を大切に過ごしていきたいな!
そして、精一杯生きていきたい!
改めて今日、そう思った!^^*
なんていうか、今ある当たり前、とか平穏とかって、あっさりと崩れるぐらい脆いもんだよなって… 今妹(中1)が、好きな曲を聴いているのも、当たり前の光景だけど、そんな当たり前もあっさり崩壊するかもしれないんだよな… だから1日1日を大事に生きなきゃな、いいや生きなくてはいけないんだよな…
きっと明日から何でもない1日が始まる
どこで誰が傷ついても時間は待ってくれない
その辺結構残酷だな
って思ってしまう
自分たちが少しでもこうしてあの日を振り返りながらそれぞれの思いを送る事で
傷つき時間に忘れ去れてしまった誰かの助けに少しでもなればな
なんて思ってます
では
皆さんおやすみなさーい
ハイノロさんが週一でやっている企画で 都道府県ギャップ というのがあるのをご存知でしょうか?私あの企画が好きなんです。
ということで
47都道府県の歌
をやりたいと思います。
この企画は北から順番に紹介していきたいと思います。
では15回目は新潟です。
一度書いたけど載らなかったのでもう一度
私のオススメ曲は
加山雄三 の 湯沢旅情
です。この曲は新潟県の湯沢町をテーマにした曲です。湯沢町といえば越後湯沢,ガーラ湯沢,岩原スキー場,上越新幹線,上越線,関越自動車道,苗場スキー場,フジロックフェスティバルが思いつきますね。川端康成さんの雪国に登場する雪国こそが湯沢町です。ガーラ湯沢といえばSOLのドライ部で一回過去に行ってましたね。今回紹介した曲は上越新幹線でふるさとチャイムという駅ごとに違う車内チャイムを採用していたころに越後湯沢駅の車内チャイムとして採用していました。
ということで今回はあなたにとっての新潟といえばとあなたの好きな新潟の曲を教えてください。
曲の書き込みはなくても地元紹介だけでも構いません。
ということでハイノロさんの企画の方にも参加してあげてください。
ということで次回は富山県です。
ではまた明日(^^)/~~~まんだら
宮城県では復興ソングでもある「あすという日が」があります。是非、聴いてみてください。
今日の授業とは関係ないので読まなくても構いません。
ご無沙汰してます、心の落書きの道民です。
今回は「理解すること」「受け入れること」の違いを説明します。
高二の時、英語討論の授業でテーマがLGBTだったのですが、好きだった人(以下、キミ)とペアになり、「もし友達に当事者いたらどう思う?」と聞きました。すると「勝手に好きになってたとかじゃなくて、相手が異性でも同性でもその人を見て好きになるじゃん?だから気にしないよ」と返ってきました。何気ものすごくいい事言ってたので、照れ隠し大変でしたわ。
高3になって、質問箱って流行ってるじゃないですか。スクショしてインスタのストーリーで返信するやつ。あれで誰かがキミに「女の子と付き合ってるって本当ですか?」って質問してて、キミは「それは嘘だよ、てかそういう趣味ないし」って返してたんですよ。
それ見た瞬間裏切られた気持ちでいっぱいで、ずっとキミのことを信じてたのに悲しくなりましたね。
同性愛は趣味じゃないし、好きで同性愛者やってるわけじゃない。益々苛立ちを覚えました。
表(話し合いの場)では「気にしない」っていい事言ってて、実は裏(本音を言える場所)ではそう思ってたんだなーって。
それでも好きでいれた理由はちゃんとありました。それは次の機会で。
SOLを聴き初めて、震災の話を聴いて、東北に行きたいと思ったことが何回かある
けど、まだ行けてない
それは、時間とかお金の都合ってのもあるけど、どこかで事実を拒絶していたのもあることに気づけた
いつになるか分からないけど、東北に行きます
懐かしい!!
父親の携帯の中にはいってる!
好きな歌だった。
サビの歌詞が印象的ですごく好きだった。
なんでエゴイストさんはお酒を飲みながらこれを歌ったのだろう。。。
もう震災から8年経ったんだね、、、、。この時私は小学3年生。目の前が津波で全部流された。私の知り合いも亡くした。絶対にあの頃を忘れてはいけない。「震災」を、忘れてはいけない。
いろんなことを考えさせられた。
もう8年経ったんだから…
っていうのはおかしいって改めて感じた。
被災した人たちは、あの時から動いている人もいれば、止まっている人もいる。
あまり強く影響を受けていない自分たちは、逆に何ができるのか?
被災地に対してできることは何だろう?
ということを考えさせられた。
この曲いい曲ですよね
まさかスクールオブロックでかけるとは
卒業した直後に聞くとなんかな感じますね。
悲しい・・・・
震災から8年が経ち、当時小学6年生だった自分は20歳になりました。1月に成人式を迎え地元埼玉でめでたく新成人となることが出来ました。同じように、当時東北の被災地に暮らしていたみんなも成人を迎えたのではないかなと思います。復興が少なからず進んだ故郷で成人式を迎えた方も、もしくは帰れないから、別の場所で成人式を迎えた方もいるかもしれません。でも、あの時命を失わず、いろんな人に支えられながら大人になれたこと、これに感謝しなければならないかなと思います。
当時、小学生だった自分にも本当に衝撃的だった出来事ですから、被災地で暮らしていた皆さんはもっと恐ろしく、どうしようもない気持ちだったのではないかなと思います。でも、8年という時間が経ち、大人になった僕達は、これからも前に進んでいかなくちゃいけませんね。東北に住まない生徒のみなさんだって、こうして思いを共有できるのなら、災害大国である日本をこれからともに生きて作っていかなくちゃいけません。今日の放送を聴いて間違いなく復興は進んでいると思えました。これから先、自分たちが味わった苦しみや悲しみを次の世代にできるだけ少なくしてあげたい、そんな未来をともに作れる仲間がここにはいるのかなと思います。
毎日一生懸命生きていきましょう。自分たちが進んでいく道の中で何ができるか少しずつ考えられたらなと思います。
3.11
自分は小学校低学年で下校中の出来事でした。
家に帰ると母がテレビで津波が起きている映像を
じっと見ていました。
自分は事の重大さが分からずただその映像を見るだけでした。今になってみれば当時自分がどんな事が
起きているのか分かっていればすぐにでも
少なくとも復興応援メッセージを送っていたと思います
でも自分も成長して出来ること、してあげられることが
増えました。
だからせめて復興応援メッセージを送りたいと思います
頑張れ東北!
止められないし、予想も出来ない自然災害で犠牲に
なった人の分も日本全国で強くなろう!
なんかさ、よく分かんないけど、複雑だよな。
今日は凄い色んな事を学べた。けど、分かったわけじゃない。多分、なんか、これはずっと分からないままだと思う
いろんな思いが絡みあっている。自分には知らないことが多すぎる。東北にいる人の中でも色んな考えを持つ人がいて、色んな想いを持つ人がいるからそれを全て分かりきることはできない。。
じゃあ自分は何が出来るんだろう、、ほんとに何ができる、、?
私の学校はキリスト教なので、毎週金曜日の朝礼で、東日本大震災にあわれた方への祈りを唱えています
それを唱えることを義務にしてはいけない。これに慣れてはいけない。心を込めずただ読むのは駄目なんじゃないか?それじゃきっと届かない
今日の授業 私は、泣きそうになった。東北のみんなは、がんばってる。みんなの手助けしたかったけど、私が逆に1歩踏み出す勇気もらってる。東北のみんなありがとう。私、治療がんばる。春からの大学もがんばる。
自分には被災した人達の体験や気持ちを全て理解できる訳じゃないけど、だけど生徒たちの生の声を聴いて「それでも『生きて』いるんだな」って思いました。ただ前向きに、直向きに。
もう8年も経ったんですね
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします
それから被災地の復興を願っています。
やっぱり、実際東北に行かなきゃ分かんないんだろうなって思った。
ラジオで凄さは伝わっても、ほんとの凄さは分からない。見てるか聞いてるかだけじゃ駄目なんだよな
東北、行きたい
私は本日、2019年3月11日を持って、中学校を卒業しました。そして、今日は絶対に忘れてはいけない「東日本大震災の8年が経過した日でもあります。制服にメッセージを書いてる最中に、放送が流れて、黙祷を捧げました。その時はもちろん泣いてる友達もいました。もちろん、卒業したからっていう涙です。でも、自分は、なんか違う気がしました。被害になられた遺族の方達に対しての・・・。なんでだろう。黙祷が終わったあと、近くの友達が、「そっか、今日で8年だね。」卒業式で歌った曲は「群青」って言う、東日本大震災の被害に遭われた、小高中学校(おだかちゅうがっこう)の生徒が作詞した曲です。それが心に響いているのかも。そしたら、なぜか自分も泣けてきた。自分の学校は卒業式は必ず、3月11日って決まっていて、それにあわせて、先生は、きっと、「被害に遭われた方々の気持ちがわからない人間になってほしくない」って最後のメッセージかもしれない。本当に感謝しております。
私には大きな手助けはできないけど、何かできる事からやれたらいいなと思った。
私の住む地域はあまり地震とかが起きないので、震災に対する意識が低くなっていると思う。
いつ、何が起こるかはわからないので、今を精一杯生きていきたい。